「安吾巷談 世界新記録病」とロンドンオリンピック
以前、別の回について記事にしたことがある安吾巷談です。
安吾巷談 天光光女史の場合 - あれこれ備忘録 〜はてなブログ支店〜
日本語が終戦後の設備など条件が整わない中で世界記録を出しても認められなかったころの話のようです。
プールの長さが足りなくて折り返しの距離が多くなり、不公平があるためだろうと思います。
もちろん公式記録として日本の大会が認められなかったというのもあるんでしょう。
それだけ見ると当時の日本が苦しい状況に立たされていたように感じますが、ところがどっこいの話で、当時の日本水連はそれを逆手にとり、世界記録を何度も出したように見せて不当に観衆を煽ったという話です。
一人が最速タイムでゴールし、世界記録を塗り替えても、それは公式には認められないから次のレースで別の人が世界記録は更新、しかし先の人よりは遅いタイムであってもやはり世界記録だ、というわけです。
坂口安吾はそれはただの詐欺だし、タイムを出すことがそんなに重要なのか?と問います。
安吾としてはタイムよりも個々のレースで相手に競り勝つということこそ、強さであると考えていたようです。
一人で黙々と練習しているときにいいタイムをいくら出しても、レースで相手に精神的なものも含めて駆け引きで負けてしまっては意味がないのだということですね。
とにかくレースとはその時に相対する相手選手に勝つこと、それがレースであり強さなのだといいます。
先日、閉会したロンドンオリンピックでもそう思うことがありましたね。
如何に事前に今期世界最高のタイムを叩き出し、調子がいいとかメダルが狙えるとか言った選手でも本番のレースで相手に競り勝てなければ結果として負けなのです。
如何に世界ランクが上であっても、当時の試合で負ければそれは相手のほうが強かったという事なのだ、ということです。
とかく記録を求めがちな私達ですが、レースの楽しみ方はあくまでもその時の勝ち負けなのだということを坂口安吾はいっているようです。
ボルトが1位で金メダルをとったのに、タイムが世界記録を上回らなかったと残念がるのは世界記録病に侵されているのかも知れませんね。