あれこれ備忘録@はてなブログ

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死のポルノ化の意味 人は何故、死体・遺体を見たがるのか

昨日の記事へのアクセスがすごいことになってます。

 

ジャパンプレス山本美香さんの遺体動画に死のポルノ化を思う ※2014/12/14 Googleアドセンスのポリシー違反となったので、リンクを削除しました。

 

内容は世界中の人がアフガン・イラク、シリアなどでの首切り殺害動画を探しまわったことを死がポルノのように扱われているといった内容で書きました。

 

みんな、私と同じタイプの人間のようですね。

 

調べてみたところ、「死のポルノ化」の意味をかなり誤って解釈していたようです。

 

メメント・モリ(死を忘れるな)

 「セックスが解禁となり、死がタブー化した」状況をイギリスの社会学者ジョフリー・ゴーラーは「死のポルノグラフィー化」(『死と悲しみの社会学』ヨルダン社)と呼んだ。  ゴーラーは、かつては性について語ることはタブーとされたが、死について語ることを憚ることはなかった。しかし今日ではセックスについて語ることはタブーにならず、死について語ることがタブーになっていると説く。

 

『死と悲しみの社会学』

 

性のほうも本質的には解放されているとは言えないので、タブー視されているものをこっそり見たがる性質には変わりないのだろうと思います。

 

そこが意味を履き違えてしまう理由でもあるわけです。

 

しかしながら、性については「健全な性」と「そうでない性」とがあることになっているのが現在の社会です。

 

ポルノ大国、日本。この国では、日々、おびただしい数のアダルトビデオが作られ、レンタルビデオ店やセルDVDショップなどに流通し、インターネットの動画サイトで配信されている。 その数、年間約2万タイトル。 そんな中にあって、密かに消えていく作品があることをご存知だろうか。リリース直前になって発売できなくなった、あるいは、一度は店頭に並んだものの回収されることになった……「封印されたアダルトビデオ」である。 出演させてはいけない者を映してしまったため、オクラ入りを余儀なくされた作品。異国の宗教儀式に参加し、国際問題になりかけて抹消された作品。契約上のトラブルから発禁処分となった作品。出演者の不慮の死や失踪によって発売延期せざるを得なくなった作品。そして、女優の訴えによって犯罪行為が明らかになり、闇に葬り去られた作品……。 本書は闇のAV史に刻まれた19の封印作品を取り上げ、取材を通じ、その裏側を明らかにしようとするものである。

 

「性に良いも悪いもあるかよ」という感情を抱くのは結局はやはり性が解放されているとは言えないからでしょう。

それとも私だけが解放されていないのでしょうか?

 

ところでこのジェフリー・ゴーラーという人は日本人論をまとめて発表し、『菊と刀』のルース・ベネディクトに影響を与えたと言われている人のようです。

 

菊と刀』については以前、記事に書きました。

 

『菊と刀』の嘘

 

菊と刀』は論文の類ではなくて、社会風刺だという海外研究者がいるのに、日本では未だにこれを日本人論を語るには外すことができないものとしてありがたがっているという指摘もあります。

 

死のポルノグラフィー化についても、当たっているところ、そうでないところがあるのかも知れませんし、文化的な違いが当然あるのでしょう。

 

ただ、死が今ほど隠されていないのならば、死体映像などをわざわざ様々な検索ワードを使って探しまわってまで見ようとは思わないでしょうね。

 

さらに考えると、履き違えた意味としても「死のポルノ化」は当たっているところがあります。

 

単なる死体画像や死体動画が見たいのならば、ネット上にいくらでも転がっています。

 

しかし、タイムリーさやシチュエーションによって価値が変わってくるのです。

 

繰り返しになりますが、単にタブー視された死を怖いもの見たさから見るのであれば、山本美香さんの動画を探したりはしないでしょう。

 

そして死や死体に対して性的興奮を覚えるネクロフィリアは、「死のポルノグラフィー化」が産み出した文化的なものなのか、それとも人間の本質的なものなのかという事も気になってきます。

 

人の死に直面しても性への関心が失わなかったり、生への関心、たとえば葬式の日に飯を食う、しかもそれが妙に美味しいと感じる場合のことを考えると、あながち人間はみんなネクロフィリア的な性質を持っているのではないかとも思えるのです。