人が薬物にハマる理由:マリファナ編 HOOKED: ILLEGAL DRUGS: MARIJUANA ---使用と取締りを巡る攻防
『人が薬物にハマる理由:マリファナ編 HOOKED: ILLEGAL DRUGS: MARIJUANA』を見た。
大麻の話は現在は閉鎖されてしまったAbemaTVのVICEチャンネルで良くやっていた。
大麻を取り上げた番組をしているときには必ず大麻容認派でしかも大麻を吸ったことがあると思われる人のコメントが書き込まれていた。
番組によると、アメリカにおいて大麻が危険視されるようになったのは一節には移民が大麻を始めとするドラッグを持ち込んだり、使っていたりしていたためだとも言われているらしい。
移民たちが仕事がないためにドラッグを使っていたり、ドラッグを売ったり使わせたりことを商売にしていたりして、移民街全体がいかがわしい雰囲気だったのかも知れない。
レーガン大統領などが大麻を始めとするドラッグを問題にして、取締りを強化した結果、アメリカでは刑務所が足りなくなり、民間企業が運営する刑務所がたくさんできるきっかけになったそうだ。
そもそも大麻を吸うと人はどのようになるのだろうか?
大麻の人を陶酔させる効果を持つ主成分はデルタ9-テトラヒドロカンナビノール、略してTHC, Δ9-THCと呼ばれるものだそうである。
これが脳に作用して、筋肉を弛緩させたり、緊張感をゆるめたり、高揚感を感じさせたり、知覚能力を低下させたりあるいは逆に神経を鋭敏にしたり、するそうだ。
被害妄想的になるとも言われている。
最近の研究では、THCが脳細胞を破壊する仕組みが明らかになったとニュースで報道されていた。
危険なような気もするが、人間関係や仕事上のストレスでも脳や身体が傷むわけで、それを免れる効果があるなら、どちらを優先するかという問題でもあるかも知れない。
酒だって多くの場合、害になる。
適量飲む習慣を持っている人には良い効果もあるとされるが、その適量は多くの人にとっては少なすぎ、ほとんどの場合、人は酒を飲み過ぎる。
それでもそのようにして日々の憂さを晴らして人生を生きているのだ。
そのようなことを考えると、大麻が脳神経を破壊するなどということを持って即危険ということにはならないような気もする。
ともかく、人類はもともとこの大麻を祭りや呪術、治療などに利用してきたそうである。
中央アジアではスキタイ人が死者を葬るときに大麻を使っていたと言われている。
燃える石炭の上に大麻草やその種をばら撒き、スキタイ人はその煙を吸って高揚したようだ。
中国では、健忘症や生理痛などに対する薬として大麻を用いていたそうだ。
インドの人々にとって大麻は、想像と破壊の神シヴァからの贈り物だった。
大麻は東洋から西洋へと伝わったそうである。
13世紀ごろアラブの人々がスペインへ大麻を持ち込んだ。
大麻が薬としても使われたのかはわからないが、その頃は主に繊維を取るのに作られたそうだ。
船のロープや帆の材料だったのだ。
スペインの無敵艦隊でも使われていたのだ。
日本でも太古の昔から大麻を衣服などに利用してきたとされている。
フランスに大麻を持ち込んだのは、1798年にエジプトに遠征していたナポレオンだったらしい。
この頃のエジプトはイスラム教はすでに浸透していたのだろうか?
だとするとイスラム教ではアルコールが禁じられているので、酒を飲んで酔う代わりに大麻を吸っていたとしてもうなずける話だ。
法の精神というか、酒を禁止した理屈を考えると大麻も駄目ではないかという気がするが。
しかし、番組によればフランス兵たちはブランデーと大麻を交換したらしいから、エジプト人たちは当然そのブランデーを飲んだだろう。
イスラム教は関係ないのかも知れない。
パリの芸術家たちは大麻を愛用し、詩人のボードレールも大麻を吸ってそのときの体験を書き綴っていた。
イギリスのヴィクトリア女王は生理痛を和らげるために大麻を使っていたと言われている。
後に他のドラッグ同様、大麻を問題視するようになるアメリカも入植の当初は、大麻を様々な用途に利用したらしい。
大量に育てて、テントや衣服を作っていたのだ。
ぜんそくや生理痛、睡眠薬、てんかんの薬として、処方箋なしに手に入る大麻は重宝された。
フィッツ・ヒュー・ラドローが大麻を使って陶酔状態になり、その時の体験を本に著したりして、そのような使い方をする人が増えていったそうである。
1876年、アメリカのペンシルベニア州フィラデルフィアで万国博覧会が開かれ、オスマン帝国のパビリオンで皇帝アヴドゥル・ハミト2世が水タバコで大麻を吸うことができるサービスがあり、これにより、一気に大麻を楽しむ習慣が広まった。
アラブでハシシと呼ばれていた大麻を水タバコのパイプで吸える店がたくさんできたらしい。
1900年、ニューオーリンズではヨーロッパや中南米、アフリカからの移民が入りまじり、ジャズなどの独自の文化が生まれ、その土壌に大麻もマッチした。
しかし、治安が悪化し、それと大麻とが関連付けられて語られるようになったそうである。
大麻だけでなく他のドラッグの影響もあったようだが、コカインはいち早く禁止されたために、マスコミは次のターゲットとしてマリファナを選んだとのこと。
大麻が危険視されるようになった最初の出来事となるのだろうか。
人種差別的な論調とともに大麻を危険視する記事が良く書かれたそうだ。
現在でもそうだが、世の中の不安を人種差別などと関連付けると人々に受け入れられやすかったのだろう。
政治家たちは一部の移民、黒人やメキシコ人たちを危険視して排斥するとともに大麻も禁止する法を作った。
1930年に大恐慌で経済が落ち込み、仕事を失った人たちが、酒や薬物にのめり込む人がいたのだろう、酒とともに薬物も一層危険視されるようになった。
1933年、禁酒法が廃止されるとその取締りにかけられていた労力を薬物に振り向けるようになる。
連邦麻薬局は1930年に設立されたそうだ。
薬物にのめり込むのは危険視されたのに酒は解禁されたというのは不思議だ。
禁酒法の執行官としてならした38歳のやり手ハリー・アンスリンガーが麻薬局の長官になった。
当初、取締りの中心はヘロインだったが、新聞業界からの働き掛けで大麻の取締りが強化された。
やはり移民排斥とセットになって大麻を含めた薬物の取締りが強力に行われ、ラジオや映画などを使って薬物が絡むと暴力的で悲劇的な事件が起きるとの宣伝がされた。
『リーファー・マッドネス』などの映画を見て、人々は大麻の恐怖を植え付けられた。
1937年、マリファナを規制する最初の連邦法に関する公聴会が開かれた。
禁酒法が廃止されたかわりに、マリファナを規制しようとしたのだった。
無条件に禁止することはできず、大麻を所持や販売をするためには政府が発行する印紙を買わなければいけないようにした。
印紙の発行量を制限して大麻が流通しないように画策した。
1937年8月、マリファナ課税法ができ、マリファナの所持、販売には5年の懲役刑か、2000ドルの罰金もしくはその両方が課されることになった。
法律が施行されてすぐにコロラドで2名が逮捕、起訴され、アンスリンガーは判決を見届けるためにわざわざワシントンから現地へ飛んだ。
判事は「全ての薬物の中でマリファナは最悪である。マリファナをやると人はケダモノになる。マリファナは人生を破壊する。あの草を売る輩に同情は無用だ」と言ったそうである。
アメリカ政府は生えている大麻の根絶を試みたが、前述の通り、大麻はロープや帆、衣服、パラシュートなどに利用されるため、簡単にはいかなかった。
第二次世界大戦が起きたためにそれらの需要は高まった。
大麻の吸引を取締りつつも、大麻の栽培を推し進めなければならなくなった。
ジャズドラマーのジン・クルーパや、俳優のロバード・ミッチャムを逮捕、服役させるなど見せしめにすることによって、大麻が社会にとって危険であることを広めるのはやめなかった。
1956年には、施行された麻薬取締法では所持に対して厳しい罰則が設けられた。
大麻所持での逮捕、服役者は3000人から50000人に膨れ上がった。
しかし、かえってそれが大麻をアウトローとしての魅力を高め、若者を惹きつける結果となった。
そのころには簡単に手に入らなかった大麻も1960年代には比較的簡単に手に入るようになり、いわゆるヒッピーたちが大麻を吸っていた。
大麻は平和の象徴、愛の象徴として見直されたのである。
1967年のLIFE誌には「当時の大麻の流行は禁酒法時代以来の法律の蔑視だ」と書かれていた。
マリファナがアメリカ史上、最ももてはやされたのは音楽の祭典ウッドストックフェスティバルだったという。
反体制、親の世代への抗議の意味で当時の若者たちは大麻を吸っていたのである。
1968年、麻薬課税法の是否が最高裁で問われた。
裁判を起こしたのは、幻覚剤での意識革命を説いたというハーバード大学の元心理学教授ティモシー・リアリー。
教授時代に学生にLSDを使い職を追われた彼が、麻薬所持で捕まったことを利用して麻薬課税法が合憲であるかどうか問うたのだった。
1969年、麻薬課税法は憲法違反と判断された。
しかし、当時の大統領であるリチャード・ニクソンは諮問委員会からマリファナの使用、所持を処罰しないよう提案されながら、逆に薬物取り締まりに関する法律の改革に取り組み、1970年、大麻をヘロインと同じランクの規制薬物に指定した。
大麻の使用、所持で逮捕、収監される若者が急増した。
一方、イスラエルで大麻草から有効成分であるTHCが分離され、それが身体に与える影響が徐々にわかってきていた。
ニクソンの後のジミー・カーター大統領は候補時代に大麻所持、使用の非罰則化を訴えていた。
1975年、ワシントンDCに住んでいたスピーチ・ライター、ロバート・ランドールは自宅で大麻を栽培、使用していた。
緑内障の治療に使っていたのである。
直接、緑内障に効くかどうかわからないが、目への影響については目の充血、瞳孔散大そして眼圧の低下が報告されている。
ランドールは逮捕され、治療のための使用を求めて裁判を戦う。
彼は裁判に勝利した。
こうした動きもあって、1978年までに12の州で大麻の使用、所持を非犯罪化したという。
しかし、77年12月にワシントンDCジョージタウンで開かれたパーティーで、薬物対策の責任者がコカインを使用するという不祥事を起こし、マリファナ合法化の話は立ち消えになってしまった。
1980年初頭に発足したレーガン政権は、大麻を始めとする薬物に否定的な親世代の声を受け、薬物規制に取り組んだ。
薬物乱用の危険性を訴えるCMが流されたり、学校教育などが行われた。
卵と同じように一度、変性してしまうと脳味噌や肉体は元に戻らないということを表しているのだろう。
「人生に『イエス』、薬や酒には『ノー』と言おう」というキャッチフレーズも広まった。
レーガンは、軍を投入したり、大麻を始めとする薬物使用者の財産没収、政府からの手当の停止など徹底的な取締りを行った。
刑務所に収容されている人の半数が薬物使用者という異常事態になり、民間に運営を委託する刑務所があらわれ、産業化した。
人種差別を背景にした逮捕も多く行われ、マイノリティは逮捕、投獄されたり、前科がついたことによりまともな職につくことが一層厳しくなるなどした。
規制が強まる中、医療用途での大麻利用は進化を続けていた。
80年代、医療用大麻の画期的な発見が相次ぎ、鎮痛作用や発作を抑える効果、がんを抑制する効果などがわかっている。
そうした発見により、医療用途としての大麻使用を求める動きが起こった。
1996年、カリフォルニアで医療用大麻の使用が認められた。
90年代を通して、大麻への悪いイメージは消えていった。
クリントン大統領はマリファナをふかした経験を持ち、オバマ大統領は吸い込んだこともあるという。
21世紀、ネットなどを通じて、大麻を犯罪化することによる弊害を多くの人が知り、そのような弊害を生んでまで禁止にするほど悪いものではないという認識を多くの人が持つようになっていった。
2012年のコロラド州を始め、ワシントン州でも嗜好品としてのマリファナ売買を合法化された。
医療用途での使用は約半数の州で合法とされている。
嗜好品としての使用、売買も合法とする州は増えているという。
アメリカでの大麻規制の歴史がわかっておもしろかった。
個人的には大麻を使ってみようとは思わないが、日本でも合法化しようと言う動きはこれからもっと盛んになっていくと思う。
なお、日本人は海外で大麻を始めとする薬物を使用しても、日本の法律が適用されるため違法である。
現実問題、海外での使用を証明することが不可能なため捕まらないだけだ。
数学者の藤原正彦さんは本当なら逮捕される。
言わずもがなのことだが、医療用大麻というものはなく、大麻の医療用途での使用と嗜好品としての使用とが区別されているだけである。