中国山間部で儒教を学ぶ顔回たち
孔子がくれた夢 ~中国・格差に挑む山里の記録~
先週、ETVで見ました。
北京五輪以後、見直しが進み、習近平国家主席も言及したことで復権が進む儒教。
その儒教を山間部の貧しい農民たちに教え、儒教の教える人材とすることで貧しい暮らしからの脱却を図ろうとエリートコースを捨てて、NGOに身を投じた「石ころ先生」という若者の夢と挫折を追ったドキュメンタリーでした。
冒頭部分を見てすぐに思ったのは、小学生に教えるのはどうなのだろう?ということです。
小学生に教えるほうが暗記もスムーズにできて良いのかも知れませんが、儒教を教える立場になるのはずっと先です。
中学生に上がれるかどうかもわからない状況の子供に儒教を教えることが貧困脱出の鍵になるのか?と思いました。
案の定、すぐにそのことが番組の中で明らかになります。
論語の暗記が得意だった子供が何人も勉強を諦めていました。
ただ、中学生に教えたとしても、儒教を教える場がきちんと中国の国内に出来上がっていない限りは、儒教教育の担い手にはやはりなれません。
子どもたちを連れて、大きな都市の博物館を見学しに行った時、事前の資料にあった入口前の孔子の像が無くなっていました。
子供が係員に孔子の像はどこへ行ったのかと数人に尋ねるとようやくそれが中庭にあることを教えられます。
儒教復権の兆しは見えていながらも、「儒教(を含めた、共産主義と相容れない思想。特に現在の中国ができる以前の思想全般)を批判した、これまで共産党が取ってきた施策が間違っていたことを認めることになる」という考えも根強いようです。
また、像が出来た当時はまだ習近平氏も儒教復権を明言していなかったのでしょう。
結局、格子像は一部国民の反対の声にあって、博物館正面から中庭に移されていたのでした。
また孔子学院を尋ねた時、石ころ先生は同じ儒教を学ぶのでも、学院の生徒と自分が教えている山間部の子どもたちとでは環境の格差があまりにも大きいことを実感します。
彼はNGOの活動を通じて、現代の儒教研究の第一人者や大学教授達などに、その現状をどう打開すれば良いのかと訪ねて回ります。
しかし、役に立つ答えは返ってきませんでした。
かつての教え子が進学を諦めていく様を見ると同時に、自分も社会から取り残されていて、身を固めて親孝行をしたいがそれがかなわない現状にも直面した石ころ先生は考えた末、NGOを止め、知人と商売を始めることにします。
儒教を教える塾のようなところに漢服という昔の服装を模した制服を販売するというものです。
その事業で食べていけるようになったら、また子どもたちに儒教を通じた支援がしたいと彼は語ります。
その決心の後、ある中学校を訪ねます。
そこにはかつての教え子のうち、無事、進学することができた子どもたちが通っています。
彼らは多くが成績上位者として讃えられるほど優秀で、将来を期待されていたのです。
石ころ先生は彼らに会い、彼らにしばらくのお別れを告げます。
子どもたちからお返しの書をもらって、番組を終わりました。
中国の都会と地方の格差は日本とは比べ物になりませんね。
日本は商品やサービス価値が大体同じなので、そこで生活をしようとすると収入格差が響いてくるわけで、それはそれで苦しいわけです。
しかし、中国のようなところの格差はそもそも生活水準からものの値段まで違っています。
日本でも以前あったように、町に出て働くと田舎の家族を食べさせることが出来、その上で支出を切り詰めてお金を貯めると、10数年後には田舎で家を建てたり商売を始められるという具合です。
それはそれで良いのかも知れませんが、結局、自分の生まれた場所やその近くには仕事がなく食べていけないのです。
儒教はその状況を変えることができるのでしょうか?
工場の労働者となるのも儒教の教師になるのも結局は、生まれ故郷以外の場所で働くことに変わりありません。
石ころ先生の理想は貧困脱出ですから、儒教の教師の収入が高いのであれば成功でしょう。
でも、それでは村の貧困具合はさほど変わらないでしょう。
山間部の村の子供達に儒教を教えたのは、ちょっと罪深いようにも思います。
儒教の教師になれるという夢を見せて、それが出来なかったので「かえって悪いことをしてしまった」というようなことを石ころ先生は言っていました。
しかし、それだけでは無いでしょう。
儒教を学べば学ぶほど、それがちっとも成り立っていない世の中の矛盾が目につくようになります。
儒教が説く理想の世の中がちっとも見えてこない世の中では、理想など知らないほうが苦しむことがなくて良かったのではないでしょうか?
知らなければ、世の中の理不尽に気づくことはないのです。
そもそも孔子自身が世の中の不正を正そうとして何度も挫折し、仕官先を求めて各地を放浪したわけですから。
また、ちょっとソースを見つけられませんでしたが、「異民族には異民族の法がある。振り返って自分たちの国を見ると法がまともに行われていない」というようなことを言って嘆いたこともあったと思います。
儒教の優れた教えの誕生は、その当時や現代に続くまで、儒教で説かれている教えが行われていないことの裏返しなのでしょう。
儒教を教えることは苦しみの種を子どもたちに植えつけただけだったようにも思えました。
山間部の子どもたちがその生活の中で、矛盾なく実践出来そうな、論語の教えは次のものだろうなと思いました。
一箪の食、一瓢の飲:原文・書き下し文・意味 - Web漢文大系
子曰いわく、賢なるかな回や。一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在あり。人は其の憂いに堪えず。回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や。個人的な訳としては下の通りです。雰囲気ですので正しいとは言えないでしょう。 正しい訳は上のリンクや、検索して調べてみるといいと思います。 孔子は言いました。賢いぞ回(顔回という孔子の弟子の名前)。一杯のご飯に一杯の飲み物で一日過ごし、決して裕福とは言えない人たちが暮らしている地域に住んでいる。殆どの人はその暮らしがいつまで続くのだろうという心配に耐えられないだろうが、顔回はそのことを楽しんでいて止める気がないようだ。賢いね回は。 山間部の子どもたちは、皆、現代に生きる顔回とならなければ矛盾なく儒教の教えに沿った生き方など出来ないでしょう。 逆に都会でスマートに生きている儒教研究者たちは儒教を実践しているとは言えないのでしょう。 そういう意味では石ころ先生は儒教を実践している人でした。 田舎出身で大学まで進み弁護士の資格も取り、都会で高い社会的な地位を得られたでしょうが、それを捨てて儒教教育に身を投じたのですから。 石ころ先生と彼に教えられた子どもたち、それぞれ今よりも幸せになってくれればいいと思いました。