後藤健二さん 波紋呼んだ母の会見「精神的に混乱」と夫説明
「健二はイスラム国の敵ではありません。先に拘束された友人の釈放を願って渡った子です」と悲痛な表情で語ったのは、ジャーナリスト・後藤健二さん(47)の実母・石堂順子さん(78)。後藤さんと湯川遥菜さん(42)の人質事件は、1月24日夜にイスラム国側が湯川さんの殺害を公表したことで急展開している。
記者会見でお母さんが自分の父親が戦時中、朝鮮で軍の上のほうだったという主旨の発言をして、何故か「後藤さん母は
朝鮮人、後藤さんも自動的にそうなる」という説がネットで流れていました。
実際、どうなのかはわかりませんが、その説を唱えた人の嘘は明らかじゃないでしょうか?
後藤さんのお母さんのお年は78歳ですから戦時中の記憶もあるでしょう。
記憶がないはずだから、実際は戦後の朝鮮の軍隊の話をしている、つまり
朝鮮人なんだろう、という理屈は成り立たないでしょう。
直接関係ない話ですが、戦後皆すぐに朝鮮から日本に引き上げてこられたわけではないことも知っている人は知っていますが、ご存じない方はこれを機に知っておくべきでしょう。
作家の
五木寛之さんは戦後しばらく朝鮮から出ることができずに朝鮮にとどまっています。
その混乱時に
ソ連兵が五木さんの家に上がりこんで病気の母親を布団ごと庭に放り投げるという悪逆非道な行いをしています。
駒尺喜美「雑民の魂」を読む -五木寛之の強烈な朝鮮原体験(2)
そんなことがありながらもなかなか目処が立たず、引き揚げがかなったのは1947年のことだそうです。
五木寛之 - Wikipedia
軍属が終戦後も偉そうにしていられたわけはありませんが、
朝鮮人が完全に皆、敵であったなら誰の協力も得られず帰ってこられはしなかったでしょう。
実際、
反日感情はあったわけですからかなり危険だったのは間違いないでしょうが、完全に日本人に危害を加えるものばかりではなかったようです。
引き揚げ 極限の生 / 戦後70年へ-証言をつなぐ- / 西日本新聞
ある日、腹をすかせた私たちを見かね、オモニがふかし芋を鉄条網越しに差し入れてくれようとした。手を伸ばそうとすると、横からドンと突き飛ばされ、大人に奪われた。「飢えた大人ほど怖いものはない」と、骨身に染みて思った。
完全なる善も完全なる悪もないのが現実です。
日本も韓国も中国も過去を都合のいいように理想化している点では変わりませんね。