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偉人たちの健康診断 夏目漱石は健康法マニアだった

偉人たちの健康診断 - NHK

夏目漱石は健康法マニアだったそうだ。

というのも夏目漱石は若い頃から天然痘結核疑いなど様々な病気になっていたからだ。

病気がちなら健康に気をつかうのは当然の帰結と言える。

器械体操を始めてみたり、英語が得意だったことから海外で発表された論文が日本に入ってくるとそれを読み漁って、自己流の健康法研究の本としてまとめたりしてたようだ。

エキザーサイサーという健康器具が発売され、日本に入ってきたと知るや、それを買い求め、ちょっとやってみたりする。

しかし、夜には体が痛くなり、その後、エキザーサイサーの記述がほぼ無くなるそうだ。

3日坊主よりもひどいが、自分でも良くあるし、同じように思う人も多いだろう。

エキザーサイサーを考案したのは、ユージン・サンドウという、プロイセン、今のドイツの人である。

ユージン・サンドウ - Wikipedia

解剖学を元にした筋肉作りを初めて体系化した、ボディビルの先駆者だそうである。

ダンベルを使った体操でも知られ、彼を日本で大々的に紹介したのは、講道館柔道の創始者である嘉納治五郎だということだ。

番組ではそれにちなんでダンベルを使った健康法も紹介していた。

夏目漱石は心の病を患っていたことでも知られている。

彼が心の病を発症したのは、イギリス文学を学ぶため、国費でイギリス留学をしていた頃である。

最初は文化的にも進んでおり、体格的にも優れているイギリス人に対する劣等感だったのかも知れない。

国費の留学とは言え、かなり切り詰めた生活だったらしく、それが心細くもさせたのだろう。

夏目漱石 倫敦消息

向へ出て見ると逢う奴も逢う奴も皆んな厭に背いが高い。おまけに愛嬌のない顔ばかりだ。こんな国ではちっと人間の背いに税をかけたら少しは倹約した小さな動物が出来るだろうなどと考えるが、それはいわゆる負惜しみの減らず口と云う奴で、公平な処が向うの方がどうしても立派だ。何となく自分が肩身の狭い心持ちがする。向うから人間並外れた低い奴が来た。占たと思ってすれ違って見ると自分より二寸ばかり高い。こんどは向うから妙な顔色をした一寸法師が来たなと思うと、これすなわち乃公自身の影が姿見に写ったのである。

すれ違う者、みんな背が高く堂々としていて立派にみえる。

顔色のわるい小さな男がいたと思ったらそれは鏡に映った自分だったのである。

もともと天然痘のせいで、ニキビ跡のようなものが残っているのもコンプレックスだったようだ。

漱石は最終的には相当に精神状態が悪化し、下宿屋の女主人が嫌がらせしている、何者かが自分をつけ回っているなど、被害妄想、追跡妄想が現れる。

研究も半ばで日本への帰国を余儀なくされるのである。

夜中に叫んだり暴れたりするなど、日本へ帰ってきてからも荒れていたようである。

もっとも、これも病気のせいというのは可哀想だ。

国費での留学を最後までまっとうできずに挫折し、体の具合もあり、その後の仕事もすぐに目途がつかなかったのだから荒れるのも仕方がなかったろう。

しかし、その他にも色々と問題行動があったらしい。

夏目漱石は精神疾患だった?裏の顔が見れるドラマに期待 – しらべぇ | 気になるアレを大調査ニュース!

子どもを何の理由もなくいきなり叩いたりしていたらしい。

この他にも、当時の家の塀や垣根は人の頭よりも低かったことが多かったせいもあり、覗こうと思えば覗けたため、そのことを気にしていて、通りすがりの人間をスパイのように思っていたこともあったらしい。

当時は神経衰弱として一括りにされてきた心の病であるが、現在では、統合失調症か重度のうつ病だったのだろうと言われている。

そんな夏目漱石の心を癒したのが猫だったという。

猫や犬が人の心を癒し、体の健康にも良い影響を与えるというアニマルセラピーは有名だ。

しかし、専門家の解釈では、猫はことさら心に与える影響があるらしい。

猫は犬のように人の言うことに忠実でないため、猫が膝の上に乗ったり、自分に寄ってきたときには、猫が自分を選んでくれたという気分になれるのだそうだ。

また、猫の気まぐれさで人の顔色をうかがったりしないために、かえって気軽につきあえる存在となり、安心感が得られたのかも知れないという。

猫のおかげで元気を取り戻した漱石は、『我輩は猫である』を発表する。

夏目漱石 吾輩は猫である

小説を書くことも良い影響につながったと専門家たちは見ている。

自分をモデルにした作品を書くことで自分を客観視することができたのだという。

このような小説や日記などの文章や、自画像などを描く治療法は芸術療法と言われている。


しかし、その後も漱石は病気に悩まされる。

『それから』『三四郎』などを著し、小説家としての地位を確立していた漱石を新たな病が襲う。

明治43(1910)年6月、43歳のころのこと、小説『門』を執筆中のある日、胃の痛みを訴え、当時の胃腸専門病院を受診する。

そこで診断されたのが胃潰瘍である。

療養中に吐血し、危篤状態になるなど、かなりあぶない状態だったらしい。

胃潰瘍の原因として番組で取り上げられていたのはピロリ菌である。

井戸水がほぼ全てだった頃には、ほぼ100%の日本人がピロリ菌に感染していたとされている。

結局、死因も胃潰瘍による大量出血だったとされており、現代の医者が解剖所見を見たところでは胃の出口あたりにひどい潰瘍があったようだ。

胃酸過多であったと同時に、ピロリ菌で胃粘膜の機能が低下、さらに喫煙の影響で胃の血流が低下してこれも粘膜の分泌を少なくしていたと考えられるという。

胃酸過多の原因は食生活にあったと考えられる。

夏目漱石 文士の生活

食物は酒を飲む人のように淡泊な物は私には食えない。私は濃厚な物がいい。支那料理、西洋料理が結構である。日本料理などは食べたいとは思わぬ。尤も此支那料理、西洋料理も或る食通と云う人のように、何屋の何で無くてはならぬと云う程に、味覚が発達しては居ない。幼穉な味覚で、油っこい物を好くと云う丈である。酒は飲まぬ。日本酒一杯位は美味いと思うが、二三杯でもう飲めなくなる。  其の代り菓子は食う。これとても有れば食うと云う位で、態々買って食いたいと云う程では無い。

日本で食の西欧化が問題になったのは、基本的には戦後のことだ。

しかし、夏目漱石は当時としては驚くほど西洋化した食事をとっていたらしい。

牛鍋ばかり食べていた時期もあるらしく、月に15円、現在で30万円ほども牛肉に費していたそうである。

肉の質の善し悪しで値段は変わるから量がどの程度だったか正確にはわからないが、それでも相当食べていたのだろう。

その上、上の引用に菓子は食うがあれば食べるといった程度とあるが、実際にはこれも相当に食べていたようである。

お菓子とは少し違うが缶詰のいちごジャム1缶530gを一ヶ月で8缶も食べてしまったそうだ。

晩年の漱石胃潰瘍だけでなく糖尿病も患っていたそうだが、当たり前だと思わせるエピソードだ。

高脂肪食は胃の運動を低下させ、胃の内容物が腸へ流れるのを遅くするそうである。

結果、胃酸が多く分泌されることになるという。

また、漱石がのどの痛みや咳止めとして使っていたアセチルサリチル酸が、胃酸の分泌を促進させ、消化性潰瘍を起こす可能性があり、この副作用も胃潰瘍を悪化させていたと考えられている。

アセチルサリチル酸 - Wikipedia

アスピリンとして知られているこの薬の副作用は当時は知られていなかったそうだが、副作用がわかっている現在でもこの薬によるものと思われる出血が原因での死亡例が少なくないそうである。

出血した際に、血小板の機能を落とし、出血が止まりにくくなったり、かさぶたができても剥れやすくなるという副作用もあるという。

49歳で死去した夏目漱石だが、最後に食べたものはアイスクリームで、最後の言葉が「何か食いたい」だったそうだから、健康法マニアというよりは食に感心が高かったのだろう。


ここで夏目漱石の直筆の手紙が読める。

Web版夏目漱石デジタル文学館 | 県立神奈川近代文学館

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