『スティーブ・ジョブズ1995〜失われたインタビュー〜』『100,000年後の安全』
ジョブズのインタビューは以前にもNHKなどで見た記憶があります。
長い間、ジョブズは嫌な奴で人を見下した発言ばかりするイメージがありました。
しかし、これを見た時には何故かそのようなところは気になりませんでした。
辛辣な意見はあるのですが、口汚く罵るところは目立たず、どちらかというと相手に対する失望の意味合いを感じました。
自分の挫折についても素直に語っていました。
Mac用のMS Officeを作って更に大きくなり、WindowsというOSでPC市場に躍り出てシェアの大半を獲得した。
しかし、彼らにはビジョンがない。
こだわりがない。
プロポーショナルフォントなどを見るとよくわかる、とジョブズは言っていました。
ゼロックスで3つの技術を見せてもらい、「オブジェクト指向」と「コンピュータのネットワーク化」についてはほとんど覚えていないが、GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)に衝撃を受けたそうで、それをパーソナルコンピューターで実現したのがLisaでした。
そして、アップルを追われたあとに作ったNeXT社では、ユーザー体験を重視した結果、開発者がアプリケーションを作るのがとても大変になったという考えからオブジェクト指向による開発環境を開発しました。
こう考えるとゼロックスは相当に進んでいた企業・研究所だったのかも知れません。
そういう意味でもゼロックスが落ちぶれてしまったことに大いに失望したようです。
皮肉を言いたかったのではなくて、最先端を走っていた企業の1つがそのようになってしまった状況こそが皮肉であってそれを素直に表現しただけだったのかも知れません。
さらにはDTP。パソコンを使って印刷物を作ることが当たり前になる時代がやってくるといち早く見通し、その技術を開発に着手。
さらにすごいのはゼロックス社を辞めた技術者たちがその技術をすでに持っていたことを知ると、起業を勧め、株を買うと共にその技術もライセンスし、アップルに取り込んだことです。
アップル内で開発していたものにきっぱりと見切りをつけたのです。
それが現在のアドビだそうです。
そのアップルが、もともとはマクロメディアのものだとはいえAdobeのFlashの息の根を止め、両者に隙間風があるように見えるのはなんとも皮肉なことです。
この他にも1995年時点での未来予想図を語るのですが、今の世の中をよく見通していたようです。
彼に対して反感を感じたのは、私の当時のPCに対するイメージがその当時の世の中並で彼よりも相当遅れていたせいかも知れません。
Win95やWin98などが世の中を席巻していたころには、ジョブズが失望しているものの意味が理解できず、Windowsが提供しているもので満足していました。
動作の不安定さなどにはもちろん不満がありましたが。
現在のIT機器とネットにあふれた生活を経験することでようやくジョブズが言っていることの意味が理解できるようになったのでしょう。
特にスマホ・タブレットのようなインターフェースの革新を経験してしまうと、ジョブズに敬服せざるを得ません。
ハードウェアとしてのインターフェースもそれ用のGUIも含めてです。
こういう革新を生み出す明確なビジョンとそれが一番大事であることを社員や技術者に理解させる指導力が大事だったのでしょう。
ただし、Macファンたちの言動は未だに好きではありません。
一方、自分たちのマシンに不満があってMSを罵りながら、Winユーザーであることを自嘲ぎみに語ったり、自虐的なギャグにしてみたりする文化の方が私は好きです。
この前のキーボードクラッシャーのようなものもWindowsがシェアの大部分でなければ生まれなかったでしょう。
東日本大震災で福島原発事故が起こって、注目されたドキュメンタリーです。
フィンランドでは、世界で初めて「永久地層処分」という形での最終処分を決定しました。
その結果として作られたのがオンカロの施設です。
ただ施設を作って埋めるというだけでなく、放射性物質の影響がなくなるまでの約10万年の間に起こりうることを可能な限り想定し、対応を議論し研究しているのです。
地下施設に将来にわたって安全な状態に保つためには、標識を立ててここを掘り返すことが無いように明確に伝えることが大事だという意見がありました。
しかし、その一方で風化してしまうことで自然に溶け込み、後の世の中の人から見つからないようになったほうが良いという考えもあるそうです。
文化がこれから先も持続的に発展する想定の場合には標識を立てたり、記録を残しておくのが有効ですが、何らかの原因で、人類の文化が断絶し、文明が交代してしまった場合、標識を読むことができない可能性や放射性物質の危険性が理解できなくなる可能性があるからです。
馬鹿げているかも知れませんが、そのような非現実的に思えるほど気の遠くなる未来を考えなければならないほど、放射性廃棄物の影響は長く深刻であるということです。
そのようなものを使ってエネルギーを作り出し、処理方法を考えないままコストが安いと言っているのが現在の原子力発電の状況です。
特に日本は地震や火山が多く、そもそも適当な最終処分場を探すの困難である上、フィンランドのように将来にわたって安全に管理する責任を担おうとしているようには見えません。
日本は最終処分を海外にお願いするということも考えなければいけないのかも知れません。
将来に渡り、輸送し管理を依頼するコストも考えた時、原発が本当に割に合う発電方法なのか考えてみる必要があるでしょう。
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