『誤解と理解』
これはかなり古い本です。
1972年に出版されたようです。
アメリカ人が日本人に対して抱いている誤解。
逆に日本人がアメリカ人に対して抱いている誤解。
その2つについてアポロ宇宙中継の同時通訳者を務めた西山千が、実体験などから紹介したものである。
あまり、その背景にあるものを開設していないので、誤解を解いたり、相手の行動を理解するのには訳に立たない気がしました。
こういう場面でこういう行動をすると誤解を受ける。
アメリカ人と日本人では異なる行動をとるという理解にはなるかも知れません。
とても有名で今でもまだ残っている違いに話をするときには相手の目を見て話すというのがあります。
アメリカ人はこれを"look him/her straight in the eyes"と表現するようです。
まっすぐに相手の目を見なさいということですね。
日本人のように"avoid eyes"(視線を避ける)たり、"shifty eyes"(目を横へ動かして視線をそらす)という行為は怪しい人の態度を意味するそうです。
これが書かれた頃の日本人は、ほとんどがこれをしていたという事ですね。
偉い人が話したり、叱られているときには怒られている方は下を向いて目を伏せて、恐縮しながら話に聞き入るというのが礼儀だというふうに著者は考えています。
また、普通の対談でも目をあわせて話をすることはまず無いと本には書かれて有ります。
この当時はそうだったんでしょう。
今の日本は、その過渡期、過渡期がずっと続いていてキツイですが、そういう時期ですよね。
「話すときは相手の目を見て話しなさい」と指導を受けます。
視線を避けていると本に書かれているアメリカ人の考えのように、怪しい人だと評価されることもあります。
しかし、依然として目をしっかり見て話すことは見る方も見られる方も苦手であって、それが視線恐怖や自己視線恐怖といった日本人特有の神経症を生んでいるわけです。
最近では、目を合わせられないのを発達障害(アスペルガー障害)の一つの症状にしてしまいました。
もちろんそれだけで判断されることはないのでしょうが、そういうことに不自由を感じることで、以前よりも目を見て話すことを要求されるようになった社会の中で生きづらさを感じて、それを発達障害などに原因として求めているとも考えられます。
目を合わせることは要求されるが、その見る人間が「キモイ」などといって否定的に評価されるときには、相手もこちらを見てほしくはないのです。
以前よりも、大人だから、仕事だからということで他人に配慮することも少なくなりました。
こういう中で、周囲から浮いたり孤立して、それを発達障害として孤立した本人の問題として処理することを日本の社会は選んだわけです。
また、就職などの面接でも現在の日本に通じる状況が書かれています。
日本人が礼儀や配慮、また普段の習慣から欧米の面接官に対して下を向いていたり、目を合わせなかったりすると不信感を抱かれる恐れがあるそうで、逆にずうずうしい、少し生意気な人が採用されるかも知れないと言います。
これは今の日本の、かつてなら組織に従順になるであろう人が非正規にまわり、自己主張をすることが評価されたのに、それが満足されないということで3年でやめる人が少なくとも最初の就職面接をパスする状況とそっくりではないでしょうか?
もともと欧米、特にアメリカの考え方は日本には合っていないのではないでしょうか?
合っていないのではないか、という疑念がある上に、考えや習慣を取り入れるために必要な、その他の背景にある宗教観や博愛主義、ユニオンなど集団を作って理不尽と戦うことについては配慮がないために、辛さだけが目立ってきてしまってますます歪んだ状況に陥ってはいないでしょうか?
そのことを考えるために今一度、この頃の日本人とはどういう人たちであったのかを知る必要があると思います。