あれこれ備忘録@はてなブログ

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テンプル騎士団のアメリカ大陸上陸の謎とアメリカ建国の関係

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「聖杯伝説の謎」の後編。

イリノイ州南部の洞窟で、古代エジプトのモチーフが彫り込まれた石などが4000から5000という相当な数で発見された。

1782年から断続的にだ。

その洞窟はリトル・ウォバッシュ川の支流沿いにあると言われているが言い伝えであってはっきりとは分かっていないらしい。

その一帯はリトル・エジプトと呼ばれている。

一説にはミシシッピ川とその支流のオハイオ川に挟まれた土地がエジプトのナイル川にある三角州に見立てて呼ばれたとされている。

そんなリトル・エジプトで古代エジプトを思わせる出土品が出たのは単なる偶然だろうか?

出土したものにはエジプトや宗教的場面、様々な神々が描かれているという。

そして、これはテンプル騎士団が罪に問われた偶像崇拝になりうるモチーフだ。

出土品の1つは犬または狼の頭を持つアヌビスに似た女神で、一方に杖、もう一方の手にはエジプトの十字架とも言えるアンクを持っている絵が描かれている。

丸に十字のマークも見つかった。

ミシガン州の半島にあったものと似ている。

出土した場所ははっきり分かってはいないものの、ケンジントン・ルーン・ストーンで主張している土地の境界線の範囲だという。

当時は大きな川の水源で、石を埋めたことを証明できれば、その川と隣接する土地の所有権を主張できたとされる。

ミシシッピ川からレッド川の北、そしてハドソン湾までの北アメリカを縦断する境界線であり、それはつまり北アメリカの半分の所有権を主張していたことになるという。

イリノイ州南部で出土したものについて大半の考古学者は偽物だと考えている。

真偽はさておくとしても、これらはテンプル騎士団の財宝では無いだろう。

しかし、テンプル騎士団とエジプトの関係はあるかも知れない。

エルサレムの神殿の丘で探していたものは聖杯だけでなく、出エジプトを旗下モーゼの記録だったという説を唱えるものがいる。

テンプル騎士団が財宝と共に持ち帰ったと思われるものにゴシック様式の大聖堂があることが理由の1つだ。

ヨーロッパに新たな建築様式、セント・アーチ、アーチ型の天井、数学、幾何学を持ち込んだのである。

数学、幾何学は紙や頭の中で一定の操作をすると現実世界を何故かうまく説明できたり、特定の数字が何度も出てきたりするなど不可思議なところがあり、そのために神聖視も異端視もされてきたとされる。

テンプル騎士団はそれらを含むエルサレムからの財宝をアメリカに持ち込んだことをうかがわせる証拠がケンジントン・ルーン・ストーンにあるとスコット・ウォルターは言う。

石に刻まれた文字から点や線がついている特徴的な文字を抜き出すと「聖杯」を意味する単語になるという。

言語学者は、土地の所有権を主張するのに、読める人が極端に少ないルーン文字、そして暗号を隠すなどというのはナンセンスでありえないと疑問を呈す。

しかし、ウォルターによって石の年代が14世紀で間違いないとなれば、もう一度、石やそこに刻まれた文字について調べ直す必要があると主張する者もいる。

テンプル騎士団ケンジントン・ルーン・ストーンとのつながりは2回あったという新たな説も登場した。

1398年に航海に出たヘンリー・シンクレアの伝説がそれである。

ノバスコシア州に住んでいたミクマク族にはこんな言い伝えがある。

「男が東の方角からクジラに乗ってやってきた」

コロンブスによるアメリカ大陸発見の100年ほど前のことだという。

それがヘンリー・シンクレアだという説である。

シンクレア家はヴァイキングの子孫であり、スコットランドでもっとも有名な一族の1つだ。

スコットランド国王に直接仕えており、スコットランド統治を語る上で外せない一族だという。

シンクレア家は1400年代の半ば、ダヴィンチ・コードで有名になったロスリン・チャペルを建設した。

そのチャペルにもあの鈎つきのXがあるというのだ。

それもそのはず、シンクレア家もテンプル騎士団だったという見方があるのだ。

1307年、多くの騎士たちが拘束された時期は、シンクレア家がスコットランドに住み、新しいスコットランド国王ロバート1世が誕生した頃であった。

ロバート1世は後にローマ法王から破門されている。

バノックバーンの戦い - Wikipedia

テンプル騎士団と同じ境遇であった上、テンプル騎士団スコットランド側についてバノックバーンの戦いに参加している。

テンプル騎士団が参戦したことでイングランド軍は劣勢となった。

最終的にスコットランドは独立を勝ち取ったのだ。

1329年、ロバート1世は死後に自分の遺体をエルサレムへ運ぶように願った。

シンクレア家とテンプル騎士団はその願いを叶えようとした。

しかし途中でイスラム教徒の攻撃にあい遺体を奪われ、心臓のみが返されたという。

騎士たちはその心臓をスコットランドへ持ち帰り、メルローズ修道院に埋葬したと言われている。

(一般的な説では、異なっており、遺体は元々スコットランドにあり、心臓を戦意高揚ために聖地へ持っていくように言ったとされている。

ロバート1世 (スコットランド王) - Wikipedia )

そんな苦難を経験し、シンクレア家とテンプル騎士団との絆は固く結ばれた。

1345年に生まれたヘンリー・シンクレアはテンプル騎士団の聖杯の秘密を知っていた可能性は大いに有り得るという。

1398年の航海ではその聖杯を含む財宝を探したか、もしくはテンプル騎士団からそれを託されヨーロッパから持ち出したかも知れない。

地図を作りたいというジーノという男をヘンリー・シンクレアは船長に任命し、グリーンランドを探検した際に、地元の漁民から新大陸の話を聞いたという伝説がある。

そして、ノバスコシアにたどり着き、ミクマク族と交流したという。

ミクマク族の言い伝えにグルースカップという男の物語があり、ノバスコシアでのシンクレアの貢献と符合するものがあるという指摘がある。

ブロミドン山に住んでいたというグルースカップは山頂で裁判を行っていたという。

裁判というのはヨーロッパ的な仕組みで、ミクマク族の思想に元々あったとは考えにくく、裁判をしていたのはヘンリー・シンクレアではないか?と考えられるのだという。

この他にも1970年代に歴史家のフレデリック・ポールはグルースカップとヘンリー・シンクレアの17件の類似性を発表している。

The Curse of Oak Island, Season 4, Episode 2: Always Forward - Canada History and Mysteries

さらにはシンクレアとの遭遇以後に作られたミクマク族の旗は白地に赤の十字架、そして星と月が描かれており、シンクレアの公開時に船に掲げられた旗と瓜二つなのだ。

ノバスコシア州の南の沖合いにはオーク・アイランドという島があり、この島には財宝が眠っているという伝説がある。

オーク・アイランドの名前の由来になっている樫の木は自然に生えたものではないという。

ヘンリー・シンクレアが植林したのかも知れない。

1795年、宝探しにその島へ来た3人の少年が一定間隔ごとに足場がある人工の竪坑を発見した。

足場は10フィート(約3メートル)ごとに作られており、90フィートのところで石碑が見つかった。

石碑にはさらに30フィートのところに財宝が眠っていると書かれていた。

しかし、そこにあったのは罠だったのである。

オーク・アイランドの入り江につながる人工の水路によって水にせり上がってくる仕組みになっており、発掘は頓挫した。

研究者によれば、これを作ったのもヘンリー・シンクレアだという。

多くの実業家が財宝発掘に莫大な資金をつぎ込んだが誰も発見できなかった。

中にはフランクリン・ルーズベルト大統領やエロール・フリンジョン・ウェインもいたとされる。

オーク・アイランドから少し離れたところにニュー・ロスという町が有り、1970年代に町の人たちが土の中から沢山の並べられた石を発見した。

どうやら城の土台らしいことがわかった。

14世紀の住居らしいとされ、住んでいた人物はヘンリー・シンクレアだと言われている。

マサチューセッツ州ウェストフォードには文様が描かれた岩盤があり、ヘンリー・シンクレアがノバスコシアを越え、ニューイングランド沿岸へ到達した証拠とされている。

Westford Knight - Wikipedia

この岩盤は「ウェストフォードの騎士」と呼ばれている。

中世の剣と盾を持ち、兜をかぶった騎士が描かれているのだ。

とは言うものの残念ながら長い間、風雨にさらされていたために、現在はその絵は古い写真で何とか確認できるのみだという。

ヘンリー・シンクレアと共に旅をした者の墓だとされ、その人物はジェームス・ガン卿だと判明しているという。

しかし、古い写真の影で騎士のように見えるだけではっきり残っている中世の剣だけが確かなものだという意見もある。

また、岩盤は以前に文様を見やすくするために油などがつけられたせいで年代測定ができないという。

シンクレアの子孫たちはその岩盤の信憑性は高いと考えている。

ウェストフォードではこの他にも1350から1400年頃の船が彫られた石も見つかっている。

出発地とされるメーン州スピリット池(Spirit Pond)では1971年にウォルター・エリオットが岩に座ってタバコを吸っていたときに足元に文字が刻まれた石を見つけている。

Spirit Pond runestones - Wikipedia

ルーン文字が刻まれた石、地図が刻まれた石、そしてノルウェー・ストーンと呼ばれる石が見つかっている。

文字が刻まれている石は航海記録と考えられているが、ルーン文字は区切りの記号やスペースが無いため解読が難しく、完全には分かってないという。

ケンジントン・ルーン・ストーンにある血まみれで死んでいた乗組員に関する記述だという説もある。

石には1401年、1402年という記述があり、シンクレア一行のものであってもおかしくない。

そして、その日付の記述はイースターテーブルを用いたものだ。

しかし、ウォルター・エリオットがケンジントン・ルーン・ストーンを模して作った偽物だという説が有力だという。

しかし、一緒に見つかった地図には興味深い特徴があるという。

スピリット池周辺の様子がある程度、詳しく描かれ、東が上になっている。

これは中世の地図と同じだ。

裏にはルーン文字で「良い土地」と書かれている。

魚、鹿、アヒル、カヌーに乗った人間、先住民の顔も描かれている。

「ヴィンランドには2日かかる」という記述と右向きの矢印も描かれているという。

その地図で考えると南の方角であり、スピリット池から2日南下するとケープコッドのナラガンセット湾に至る。

そこからも1989年に鍵付きのXが刻まれたルーン・ストーンが見つかっている。

Narragansett Runestone - Wikipedia

ナラガンセットストーンと呼ばれている。

潮が満ちると隠れてしまうところにあるが、ヘンリー・シンクレアたちが探検した頃には陸の上だったという。

ナラガンセット湾近くのロードアイランド州ニューポートに長年、謎であったニューポート・タワーと呼ばれる石の塔がある。

Newport Tower (Rhode Island) - Wikipedia

17世紀のベネディクト・アーノルドの時代に建てられた風車という説が一般的だが、風車として使われた痕跡はない。

さらに、イタリアの探検家ジョバンニ・ダ・ベラッツァーノの作った地図には「ノルマンの別荘」としてこのニューポート・タワーが記載されているというのだ。

懐疑論者はベネディクト・アーノルドが故郷近くのイングランド、チェスタートンの風車を模して建てたと主張するがチェスタートンの風車の足は6本でニューポート・タワーは8本である。

建築家の中にはニューポート・タワーは中世のもので17世紀のものではないという者もいる。

ニューポート・タワーがテンプル騎士団が建てたものなら屋根があり、柱で支えられた回廊があるだろうと考えられるという。

イギリス、ケンブリッジのラウンド・チャーチやロンドンのテンプル教会のような形だ。

実際、最近の研究でニューポート・タワーにはそれらはあったことが分かってきているという。

天文学に基づいた窓などの配置が使われていることもわかった。

1500年代にはカレンダーのようなものを印刷することができるようになり、天文学的な配置などを用いて日付を知る必要は無くなっているので、ニューポート・タワーはそれより前のものではないかという研究者もいる。

ニューポート・タワーは冬至の日の朝9時に窓から日の光が差し込み、内部のキーストーンと呼ばれる卵形の石を照らすという。

建物は宗教的なものであると考える力が合理的かも知れない。

ニューポート・タワーに用いられている天文学的な手法は、それだけではない。

ニューポート・タワーの西北西にあるキーストーンと中心を線で結び、それを西の方へ伸ばすとケンジントンに到達するという。

2400km先のケンジントン・ルーン・ストーンを指し示す仕組みをニューポート・タワーに組み込める高い数学、天文学的な知識、建築技術を持っていたものは誰か?

ヘンリー・シンクレアしかいないと専門家たちは口をそろえる。

では、シンクレア一行はどうなったのか?

それは伝染病と関係あるかも知れない。

1362年頃、ヨーロッパでは伝染病が流行っていた。

もしかするとケンジントン・ルーン・ストーンに記述されている、血まみれの男達というのは伝染病だった可能性もある。

発熱、出血、そして皮膚は最初は赤く、最後には黒くなって死ぬという。

ペスト - Wikipedia

黒死病(ペスト)の特徴である。

ネズミが感染経路の主なもので船に忍び込めば、アメリカへ来た者たちも病気になる可能性はある。

1400年前後にミクマク族の数が減ったとされており、その原因はテンプル騎士団が病気を持ち込んだせいかも知れない。

コロンブスの航海の計画が持ち上がるまでには、ペストの流行が収束し、社会が安定するのを待たなければならなかった。

コロンブスポルトガルでキリストの騎士団として生まれ変わっていたテンプル騎士団とつながりがあったとされる。

コロンブスはシンクレア家と親戚関係にあり、義理の父はキリストの騎士団のグランドマスターで船の船長でもあったという。

コロンブスは彼らを通じてアメリカ大陸の場所や行き方をあらかじめ知っていたかも知れないのだ。

コロンブステンプル騎士団との関係をうかがわせるものは他にもあり、船の帆に赤い十字を描いていたり、手書きの署名に鈎つきXを使っていたという。

アメリカは友愛結社フリーメイソンが作ったという説がある。

フリーメイソンは個人の自由を重要な考えとして掲げており、名前の由来でもあるという。

元は石工たちのギルドのようなものであったというフリーメイソン

それが誕生したのはテンプル騎士団解体後のスコットランドだった。

アメリカ建国の父、ジョージ・ワシントンはアメリカにおけるフリーメイソンの初期メンバーの一人。

ポール・リディア、ジョン・ハンコック、ベンジャミン・フランクリン、ジェームス・マディソンもフリーメイソンだという。

政教分離の考えはフリーメイソンの考えだと識者は語る。

異端視され迫害されたテンプル騎士団にとっては国が特定の宗教を優遇し、それ以外には圧力を加えることを良しとしないフリーメイソンの考えは共感できただろう。

テンプル騎士団が糾弾された理由の1つには、聖母マリアの崇拝があったという。

キリスト教偶像崇拝しているように思えるが、人として生まれたキリストとその母の偶像があるだけで神の偶像は今でも禁止されているという。

キリストの母ということで一般の人よりは尊いかも知れないが、神のごとく崇拝するのは異端だということだろう。

国家と宗教の分離は今でこそ当たり前に思えるほど受け入れられているが、当時は革新的で危険視されかねない考えだったという。

フリーメイソンは寓話やシンボル、儀式などを隠れ蓑として使ってきた。

フリーメイソンについて書かれているというラルソン・ペーパーには鈎つきのXが書かれている。

鈎つきのXこそ、テンプル騎士団ケンジントン・ルーン・ストーンを始めとするアメリカ各地で見つかっているルーン・ストーン、そしてフリーメイソンをつなぐものなのである。

先史時代以降、古代の人々は図形に特別な意味を見出してきた。

テンプル騎士団もこの「聖なる幾何学」を尊び、建築などに取り入れてきた。

ロスリン・チャペルでもこの概念は使われた。

そして建築を作るメンバーには石工がいる。

ワシントンD.C.の町のレイアウトにも五芒星などの幾何学的文様が使われている。

ジョージ・ワシントンワシントンD.C.を10マイル四方の区画内に収めた。

ニューポート・タワーは八角形であるが、テンプル騎士団が用いていた十字架は角が広がった特徴的な形をしており、角は8つである。

「聖なる幾何学」の概念がエジプトのものであるとすればテンプル騎士団はそれをエルサレムで得た可能性はある。

知識こそが財宝そのものであるかも知れないとスコット・ウォルターは言う。

それを使ってテンプル騎士団は新エルサレムとも呼べる理想国家をアメリカに作ったのだと。

テンプル騎士団の秘密はまだはっきりとはわかっていない。

しかし、ケンジントン・ルーン・ストーンの発見者であるオロフ・オーマンの汚名は雪がれたと言って良いだろう。


テンプル騎士団というのは名前は知っていたが、その歴史は知らなかった。

アメリカに行っていたかはわからないが、フランス国王の借金など、政治的な理由で異端視され、ポルトガルスコットランドなどへ逃れたというのは本当だ。

また、ヴァイキングが紀元1000年という随分と昔にアメリカ大陸へ渡り、一時期、居住していたというのも初めて知った。

コロンブスの頃には、新大陸の存在はかなり確度の高い、ほとんど事実だった可能性があるのだ。

アメリカ合州国憲法に署名したメンバーの多くがフリーメイソンだったというのも興味深い。

フリーメイソンというと秘密結社で、秘密結社というとKKKなど、白人やキリスト教の至上主義の組織を思い浮かべる。

しかし、フリーメイソンは国家と宗教の分離、特定の宗教が優遇されたり、反対に迫害されたりしない社会を目指していたのだ。

フリーメイソンは仏教も、そしてイスラム教も受け入れる懐の深い友愛結社なのだった。

夢が有り、とてもおもしろい番組だった。


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