デザインの模倣を擁護するならせめて法律が出来てからの話を例えにすべき
佐野研二郎氏の事件に関してこんなブログ記事がありました。
azanaerunawano5to4.hatenablog.com
風神雷神図を構図から何から同じものを書いた有名画家がいることを挙げて、こういった模倣で互いに芸術性を高め合っていた時代があったと言っているのだろうと思います。
また、同じものを手元に残したいという目的ですら手で模写しなくてはいけなかった時代と現在のデジタル時代との違いが五輪エンブレム問題を生んだという意見なのでしょう。
しかし、佐野事件は模写かどうかというよりも材料をそのままパクるという態度が問題になったところがあると思います。
トートバッグなどその他の作品でのそのような問題が、五輪エンブレムがパクリではないということが信じられないという根拠とされたのでしょう。
しかも、模写であっても作品として世に出しても良かった時代と、現代を比べてはいけないのではないでしょうか?
青空文庫などで明治や昭和初期に欧米の小説を翻訳した本を読むことが出来ます。また、そういった海外の作品にインスピレーションを受けた更にはもうちょっとそれが反映されている、いわゆる"インスパイア"された作品もあったことでしょう。
そういったものが日本の文学を発展させてきたところがあると思います。
しかしながら、現代においては翻訳も権利問題をクリアしていなければいけないことは間違いありません。
さらに数行の文章であっても、同じような表現をすれば盗作だと問題になりますよね。
たとえそれが翻訳であっても同じであることは、先日の韓国人作家が三島由紀夫の作品を盗作したという騒動からもわかると思います。
デザインでだけ、模倣に対する擁護が多いのは、デザイン業界全体が著作権意識が低いことの現れだと思われることの方こそ、業界関係者は恐れるべきではないかと思います。
調べてみたら、請求は棄却されたそうですが、映像作品でも、ある1シーンにインスピレーションを受けたことを伺わせただけで訴えられる時代ですよ。
映像表現の利用による翻案権侵害の成否 -NHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」事件-
その後、こういった記事も出ました。
東京五輪エンブレムも森喜朗が戦犯だった! 佐野研二郎の修正案にダメ出し独断でパクリ疑惑の最終案を採用|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見
デザイナーでない人が修正を指事したとすると、擁護派の理屈が破綻する
2015/09/08 00:34
デザイナーの『ごまかし』 本当に「五輪とリエージュのロゴは似てない」か? - ツイナビ | ツイッター(Twitter)ガイド
これはかなり重要だと思う。デザインのコンセプトが違うことで模倣でないと言いながら、ステンシルの成立ちを隠しているのは悪質ではないか?
2015/09/08 00:08
引用されている記事はこちら。
本来、ステンシル書体のTにはスキマがなく、分割されていなかった、ということです。
記事ではコンセプトが大事だと言っていたのに、なぜ、この成立ちについては隠したのでしょうか?