コーヒーに慣れていない頃の日本人がわかる「コーヒー哲学序説」
コーヒーにも牛乳にも慣れていない日本人がほとんどだったころの話です。
このころの牛乳が今のように加熱殺菌ができていないことを差し引いても、100年程度で自然
淘汰によって牛乳に強い人間の子孫だけが残ったとは考えにくいですね。
日本人が牛乳に強くなったという事じゃないかと思いました。
生の牛乳でいくらか時間がたった、ぬるい牛乳というのはたしかに臭いがきついものです。
新鮮な牛乳は美味しいんですけどね。
その臭みをやわらげるために使われたのがコーヒーだったそうです。
時代が重なるのかどうかわかりませんが、牛乳が嫌いだった文豪というと森鴎外を思い出します。
記憶が確かならば、成人した後も母親が鴎外を心配し毎朝、牛乳を食卓に出していたそうですが、やはり臭みからか鴎外が好まずなかなか飲まなかったそうです。
こちらの場合は、臭みを消すために牛乳にワインを入れていたそうですよ。
寺田寅彦はコーヒーにエキゾチックなものを感じていたそうですが、日本人にとってエキゾチックというのは何なのかとちょっと考えてしまいました。
異国情緒ということからすると、確かに日本人にとっては欧米はエキゾチックで間違いないわけで、欧米人が感じるエキゾチックを日本人が共有しているかのような現在のほうが勘違いしているような気がします。
興味深かったのは、寅彦が病気のため一ヶ月ほどコーヒーを飲むことが出来ずに、久しぶりにコーヒーを飲んだときのことです。
そのときの世の中の見え方の描写がちょっとドラッグをやった人のそれのようです。
カフェインに弱い人にとっては、こういう効果があるのかも知れませんね。
コーヒーを飲んだ部族が卒倒したという話もあるようです。
よく奥地の部族と交流するときにタバコをあげることがありますが、ニコチンは大丈夫なんでしょうかね?
日本人はというと、昔からお茶を飲んできたおかげでカフェインに対して耐性があったそうです。
それでも、しばらくコーヒーを断つと寺田寅彦が感じたような心持ちになるんですね。
現代人は少しコーヒーを飲み過ぎなのかも知れませんね。
それでカフェインが足りない足りないと言って、さらにコーヒーを飲み、頭痛に悩まされるという事態に陥っています。
こういう人たちは思い切ってコーヒー断ちをしてみたほうがいいかも知れません。
しかし、これを読むとコーヒーを飲みたくなってしまいますけどもね。
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