教育関係者も悩める人もこれを読むべし
この本の冒頭にプラトンの一節が書かれています。
人生において成功するために、神は人に二つの手段を与えた。教育と運動である。 しかし、前者によって魂を鍛え、後者によって体を鍛えよ、ということではない。 その両方で、魂と体の両方を鍛えよ、というのが神の教えだ。 この二つの手段によって、人は完璧な存在となる。
冒頭にこれを書くというのは、古代のこの教えが科学的にも正しいことをこの本に書かれてある数々の事例が示しているということでしょう。
強いストレスを受けたり、ストレスを絶え間なく受けつづけるというような状態になると脳は重要な機能を強化するために様々なホルモンや物質をだす。
しかし、それらが体全体に与える影響や、本来振り向けられるべき種類の情報の処理を遮断し、ストレス源となっている類にだけ向けられる状態が長く続くと、脳は全体としては破壊され萎縮していく。
しかし、運動をすれば脳神経を構築するための栄養成分やそれを効率的に脳全体に行き渡らせるホルモン等を出し、信号を効率良く伝えるためのニューロンの結合を促し、脳の基礎構造を強化することができる。
大まかにいえば、著者がこの本の中で伝えたいのはこのようなことです。
なぜこれが教育関係者にも重要であるかというと、著者がこれを書く最も大きなきっかけとなったネーパーヴィルのある高校の取り組みの事例があるからです。
この高校では正規の授業の前に「0時限目」という運動の時間を希望者のために設けています。
腕に心拍計を取り付けてトラックを走らせるというものなのですが、重要なことには人それぞれに185以上の心拍数を維持する運動を一定時間続けるということです。
その後、授業をうけることで集中力、読解力がまし、情緒が安定し、苦手教科の克服や人間関係の円滑化が図れるという驚くべき成果をこの高校ではあげているのです。
興味深いのは体育に関する考え方が一般の学校とは異なるということです。
評価も、これまで一般に行われるのと同様のドッジボールやバスケットのプレイのうまさ、走る速さなどで評価するのではなく、 生徒個々人が自分の家族の病歴などからライフスタイルと病気のリスクを学び、フィットネス計画を立ててその達成度などから評価するということをしているそうです。
トラックを走るタイムは遅くても、185以上の心拍数を維持しつつ走ることができた人はみなAの評価を得ることができます。
ネーパーヴィルでは体育の目的はスポーツではなく、フィットネスについて教えるということなのだそうです。
運動の重要性について学び、生徒が将来にわたって継続的に運動をしようとするきっかけを与えるのが体育の意義であるとすれば 運動神経のいい人達によってゲームが独占され、下手な人たちは恥ずかしい思いをすることで運動嫌いになってしまうというのはまったく体育の意義に反するのです。
運動が脳に与える効果を考えると、一番効果が期待でき、それが必要な内気な子、不器用な子、病弱な子ほど、のけ者にされたり恥をかかされたりして運動が嫌いになってしまうのが通常行われている体育の授業です。
あるスポーツ生理学者はこの状況をネーパーヴィルと比較してこのように言っています。
「皆が忘れてしまっているのは、生徒がうまくこなせて満足できるものを見つけてやるべきだということ(以下略)」 本の著者は研究者であり医者であるので、いろいろな精神的な病を抱えた患者が運動に取り組んだ結果を交えながら、運動が脳にどのような効果をもたらし、症状がどのように改善していくのかを解説しています。
著者の目的の一つは、これを読んだ人が「運動と脳との関係やその効果を知り、運動を自発的に行うモチベーションとすること」なのだそうです。
確かに運動が脳にどのような変化をもたらすのかがここまで具体的に書かれてあって、その効果が明確であることがわかるとモチベーションは高まりますね。
是非読んでみてください。