特別な才能はいらないが
対人関係で悩む事がない生き方がしたかった。
それが悩みだと何もできない、何も楽しめない。
ストレスで体の病気にもなる。
良い事はまるでない。
こんな苦しい事はないのである。
他にどんな才能があっても無駄である。
それを発揮する場がない。
それを評価するのは他人であるし、評価してくれて必要とされても対人恐怖のためにそれに答えられない。
こんなに辛い事はない。
何か辛い事があった時、普通の人はどこかへでかけて気晴らしができる。
人と会うのが難しい人はそれができない。
こんなに切ない事はない。
ネットが無かった頃はどれほど悲惨だったのだろう。
インターネットとコンピュータ技術は本当に偉大である。
家にいながらにして様々な情報に触れられるのだから。
しかし、病気になるとその情報を読み取る能力が奪われ、享受することが難しくなる。
対人関係に対する弱さは全ての面で悪影響をもたらすものだ。
持って生まれたこの体がうらめしい。
せめて文章を書く能力と文字を読む能力は奪わないで欲しいものである。
もともと才能が無いのは仕方ないと諦めもつく。
しかし、元々あったものが失われるのは辛い。
しかも、歩く様に多くの人にとって他愛のない造作のないことである。
これがなくなるのは大変苦しい。
神様というものが本当にいるのかはわからない。
いるとするなら、奪わないでもらいたいものである。
そもそも何故、このような辛い経験をさせるのかわからない。
多くの人が同じような問いかけをし、答えを得られないままこの世を去ったろう。
いっそ、神を憎むことにしてはどうか?
憎むのも神の存在を信じなければそれをする事はできない。
神を憎む者は不信心ではないのだ。
憎むなら本気で憎むのが良いのだろう。
ほら、神の存在を信ずるものがまた一人増えた。