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欠損女子を考える上で必ず必要なマイケル・サンデル本

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この話題を見て、思い出すのがマイケル・サンデル教授の本です。

 

白熱教室のマイケル・サンデル教授が遺伝子操作の問題を考える - あれこれ備忘録 〜はてなブログ支店〜

 

元々の記事の"欠損女子"2人は事故などで手足を失った中途障害なんですよね。

 

手足を失った痛み、喪失感を超えた後は同じなのでしょうが、もともとあったものが無いというコンプレックスを持っていない障害者はまた少し違った感情を持っているかも知れません。

 

それがわかるのがマイケル・サンデル教授が著した「完全な人間を目指さなくてもよい理由-遺伝子操作とエンハンスメントの倫理-」の中の1つのエピソードです。

 

 耳の聞こえない2人のレズビアンが子供を持ちたいと思った、というだけでも日本ではまだまだ考えられない状況で、同じようなことが起こった時には騒動になるでしょう。

 

この2人は、耳の聞こえない子供を望み、遺伝性の聴覚障害者の精子提供者を募って、実際に聴覚障害を持つ子供をもうけるのです。

 

全米で大きな論争を生んだそうです。

 

しかし、彼女達からすれば耳が聞こえないことを肯定している自分たちと同じ価値観を持つ子供をもうけたいと思うのは普通のことだったのです。

 

デザイナーベイビーの問題も関わってくるので簡単に善悪の判断はできませんが、生まれた後に自分のライフワークや趣味を子供にもさせようとしたり、夢を託したり、思想を反映させた育て方をするというのはどの親もするものです。

 

それに都合の良い子供を生む段階から選ぶというのがデザイナーベイビーの思想なわけです。

 

子供に自分の思想や意志を反映させた育て方をしない人でなければ、デザイナーベイビーを完全に否定することは難しいでしょう。

 

だとすると、同じように耳の聞こえない子供を望んだカップルを批判できるのでしょうか?

 

欠損女子についても同じようなことが言えるような気がします。

 

彼女達が自分を肯定できる居場所を見つけたならそれで良いと思います。

 

しかしながら、全ての障害者が同じような生き方をするべきだとは思いません。

 

障害を強みにして生きている人がいるのだから、おまえもそうするべきだと強いる社会を私は肯定できません。

 

そのような生き方をするべきかどうかではなく、そのような生き方をしようと思った人を肯定する、少なくとも尊重するということこそ必要なことなのでしょう。

 

件の耳の聞こえないカップルも耳が聞こえないことがコンプレックスにならずに生きてこれたのには、周囲の人達からの存在肯定があったからこそだと思います。

 

これを書きながら、サンデル教授の本の内容を思い出していたら、あることに気が付きました。

 

サンデル教授の結論から考えると、サンデル教授は彼女達の結論に全面的に賛成は指定なかったのではないか?と。

 

上のリンクの、以前書いた記事にあるように、サンデル教授は遺伝子操作をすることで何が失われるか、何が問題になるかを指摘しています。

 

それはサンデル教授によれば、すべてを人間の手において操作し、選択することが当たり前になることで「非贈与性の倫理」が破壊されるということだそうです。

 

これを失うと「われわれの道徳の輪郭を形作っている三つの主要な特徴すなわち謙虚、責任、連帯に、変容がもたらされる」、そして「招かれざるものへの寛大さ」を失うと教授は指摘します。

 

つまり、いい意味でも悪い意味でも天から、すなわち人間が操作しえないものから与えられた病気、特徴、運命に対して、自分自身も周囲も認められなくなるということです。

 

最初から意図して操作された子供を望むという点に関しては、耳の聞こえないカップルがしたことも、一般のデザイナーベイビーや、遺伝子ドーピングと変わらないのです。

 

そして、彼女達に否定的な感情を抱くのは、障害がない方が幸せであるという価値観から来るものばかりではないということです。

 

「招かれざるものへの寛大さ」によって、自己を肯定できた2人のレズビアンたちは、結局、「招かれざるものへの寛大さ」を失わせることをしたのでした。

 

欠損女子に感じる違和感についても、今の話と同様、障害がない方が幸せであるという価値観以外の要素があるのでしょう。

 

このことに気がつくと、欠損女子に批判的な意見にも一理あるような気がしてきました。

 

私も病気になってから頭が働かず、これを書いている最中もうまく言葉が出てこず、書いていても苦痛を感じるほどなのですが、もう少しこの問題については考えなくてはいけないかも知れませんね。

 

 おまけ

欠損女子の1人は義足だということで、この方も思い出しました。

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エミー・マランスと12組の足 | TED Talk | TED.com