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あれこれ備忘録@はてなブログ

勉強したことやニュースや出来事を備忘録として書いていきます

EDWIN(エドウィン)のジャージーズを買った。評判通り、履き心地最高。

Amazonでジャージーズを買った。

注文も簡単、支払いもスムーズ、予定の通りに荷物も届いた。

早速、履いてみた。

デニムでない、伸び縮みする生地なのに、他のストレッチジーンズ風パンツと違って見た目はかなりジーンズに近い。

ウォッシュ加工がされたような色落ちのある風合いもあってかなり自然。

通常の店舗で買うと8000円以上するようだが、Amazonではサイズにもよるようだが4000円くらいで買うことができる。

アウトレットがあればさらに安く買うことができる。

着心地もかなり良い。

少しサイズが小さかったのだが、生地が伸びるのでとても動きやすい。

同じサイズの通常のジーンズとは動きやすさが全然違う。

腰回りは伸びないが、そのかわりしっかりしているのですぐによれることは無いのではないかと思う。

家の中で過ごすのにも、外へ出かけるときにも十分使える。

重宝すること間違い無し。

ヘビーローテーションで生地が持つのかちょっと心配ではある。

洗うのは簡単だろう。

色落ちはするのだろうか?

その辺はこれから試してみる。

とにかく安く変えたので、値段以上のものが手に入ったと思う。

ジャージーズ良いよ。

人が薬物にハマる理由:アヘン&ヘロイン編 HOOKED: ILLEGAL DRUGS: OPIUM & HEROIN

www.historychannel.co.jp

ケシの実からアヘンはとれる。

阿片戦争を引き起こしたほど、人を惹きつける薬物だ。

現在ではドラッグとしてのイメージしかないが、痛み止め、麻酔として長い間珍重されてきたのである。

しかし、アヘンは中国人の多くを廃人にし、アヘンから合成されてできたヘロインは欧米の人々に依存症と犯罪をもたらした。

1900年ごろにヘロインは製造・販売が始まった。

ヘロイン - Wikipedia

Wikipediaによると1889年にドイツで販売とあるから、アメリカで売られるようになったのが1900年あたりなのだろう。

もともとは咳止め薬だったらしい。

ヘロインはHeroinと書き、ヒーローに由来する名前だと聞いたことがある。

Heroineと書くとヒロイン、女性主人公の意味になる。

画期的な薬物だったからそのような名前がついたとか、飲むとヒーローのような気分になれるからその名前がついたとか言われているようだ。

もともと咳止めだったのに飲むとヒーローのような気分になるという効能をアピールするのはおかしいと思うが。

依存作用や副作用がない奇跡の薬というところからその名がついたというWikipediaの説明の方が正しそうだ。

アスピリンを開発、販売したバイエル社が生み出したそうだ。

現在、そのバイエル社は日本で患者のカルテを勝手に閲覧して問題になっている。

内部告発をしても問題に対処せずうちうちに処理し、内部告発者に退社を勧告し、この告発者が厚生労働省に告発してやっと問題を公表したのである。

日本法人と海外の法人は違うが、何だか根底にある罪深いものがある感じがしてしまう。

大々的に宣伝され、無料サンプルまで配られたらしいが、当初のバイエル社の主張に反して薬物依存の人びとをたくさん生み出し1914年に法律で禁止された。

アメリカにおいては相当悪名高いドラッグのようだ。

依存症だけでなく多くの犯罪者を生み出した。

過剰摂取するとその薬そのものの影響に加えて、深刻な感染症を引き起こすなどし、死に至ることもあるそうだ。

ヘロインは現在でも違法薬物産業の売れ筋商品のひとつである。

アメリカではヘロインを含むドラッグによる死亡者が自動車事故での死亡者数を上回っているという。

このアヘン、ヘロインの原料であるケシの花を、6000年前、古代バビロニアの人びとは「喜びの花」と呼んだ。

花びらが落ちた後の実からは乳白色の汁がとれ、これはそのままアヘンとなるという。

古代バビロニア人は快楽を得るために汁を飲むか乾燥した固まりを食べたらしい。

痛み止めの効果があり、合成薬などない時代にはとても珍重されただろう。

時代は下り、アレキサンダー大王はこのアヘンを軍隊の兵士に使わせて、各地を征服することに成功し、インドでの栽培も行ったという。

兵士達は自らを鼓舞するとともに、つらさを紛らわせたり、戦いで負った傷の傷みを癒やすためにアヘンを使ったのだろう。

古代ローマでは剣闘士たちが同様にしてアヘンを使った。

150年ころには医師のガレノスが依存症や薬物中毒になる危険性を指摘していたらしい。

ヒルを使ったり、吸玉を使うなどの民間療法でしか病気やけがに対処できなかった時代にはアヘンは奇跡の薬のごとく珍重されただろう。

19世紀になっても主な鎮痛薬はアヘンだけという状況が続いたという。

1492年、スペインのイサベル女王とフェルディナンド王がコロンブスを派遣したのは、新航路の開拓とともにインドからアヘンを持ち帰ることを期待してのことだった。

しかし、コロンブスはインドへたどり着くことはできず、代わりにアメリカという新大陸を発見した。

インディアンと言われたネイティブアメリカンたちからタバコというものを教えられる。

このタバコを燃やして煙を吸うというスタイルがアヘンを始めとする薬物に革命をもたらした。

コロンブスがタバコとパイプを持ち帰ったことで、アヘンも同じように煙を吸うスタイルが出来上がり、中国で広まるきっかけになった。

ケシの実の汁を飲んだり食べたりするのでは胃や腸からの吸収という経路で身体を回るので効果が薄かったり、効果が現れるのが遅かったりする。

煙で吸うことで、口の粘膜や肺から有効成分が血液中に吸収され、より早く効率的に効果を得ることができる。

恍惚感、夢の中にいるような気分を味わうことができ、中国のアヘン窟では利用者は横になったまま長いパイプを吸って、文字通り夢見心地になっていた。

1800年頃、中国では相当な数の人がアヘン中毒になっていたという。

当時の政府、王朝である清がアヘンを禁止したが、密輸は止まらず、その出処はインドで、インドは当時イギリスの植民地だった。

歴史で習った東インド会社はアヘンの取り引きも行っていたのである。

そのようなアヘンの密輸を繰り返し、中国に厄災をもたらしていたイギリス人たちを取り締まろうとし、自国民の命や財産を守るという口実でイギリスが反撃して始まったのがアヘン戦争である。

イギリスが勝利し、南京条約という不利な条約を結ばされ、アヘンの流通も続くこととなった。

欧州ではアヘンからより強力な薬物を創りだした。

ヘロインやモルヒネである。

モルヒネはヘロインに先立って、1804年にドイツの薬剤師フリードリヒ・ゼルチルナーが開発した。

夢の神モルフェウスにちなんで名付けられたという。

モルヒネは現在でも代表的な麻酔薬だ。

それ以前には鎮痛剤はアヘンしかなく、モルヒネもアヘンから作られていると考えるとアヘンは薬としてもとても偉大である。

モルヒネが作られたころですら手術は日光の下、つまり屋外で行われることが当たり前だった。

鍛冶職人や大工道具と同じようなもので道具で手術されていたという。

モルヒネはそのような手術を受ける患者の負担を大幅に軽くしたのである。

痛みを消すだけでなく、眠ることが出来たからだ。

モルヒネは手術に革命を起こしたのである。

しかし、やはり依存症、薬物中毒を生み出した。

モルヒネで死ぬ人びとが現れ、発明者のゼルチルナーの妻もその犠牲となった。

ゼルチルナー自身が危険性を訴えたにもかかわらず、当時の社会ではほとんど顧みられることはなかったという。

アメリカ南北戦争でもモルヒネは大いに役立った。

兵士たちは怪我の傷みを取り除いたり、手術をするのにモルヒネを使った。

それによって助かった人たちは多かったのも事実だ。

軍医たちはモルヒネの粉薬を取り出し、兵士達に舐めさせていたという逸話もあるらしい。

このころ、さらにモルヒネの摂取、投与経路にも新しい手法が生まれた。

傷にたらしたり、皮膚に塗りこんだり、口から投与したりするスタイルから、皮下注射に変わったのである。

口からだと効き始めるまでに20分もかかったそうである。

経口投与は依存症を生むと当時の医者は信じており、血液中に直接モルヒネを投与すると30秒で効き始めるため、注射する手法がすぐに一般的になった。

しかし、医者たちの考えに反して、注射によるモルヒネの摂取はよりひどい依存症を生み出すことになった。

傷みがすぐに消えるだけでなく、ラッシュと現在では呼ばれる強烈な幸福感を得ることができることで依存を促進した。

戦争以外でも注射による摂取は広まり、注射器は大量生産され、一般の人も買うことができたらしい。

退役軍人は多くがモルヒネ依存症となった。

アメリカにおける薬物蔓延の最初とも言われているようだ。

1875年ごろ、アメリカは州がそれぞれバラバラに成り立つ時代から合州国として統一した制度で色々なものを取り締まろうと動き始めていた。

ヨーロッパ系の移民は薬物取り締まりの法律を作った。

しかし、それは移民の中でも地域や出自によって扱われ方が変わるという人種差別、偏見と組み合わさっていた。

最初の取締法の対象は南西部のメキシコ系、奴隷、労働力として連れてこられたアフリカ系、そして欧米人から見て特に異質な存在だった中国系の移民たちだった。

西部への入り口であるサンフランシスコに鉄道を敷くためにやってきた中国人たちは差別と偏見にさらされた。

西海岸のインフラは多くが中国系移民たちによって作られたそうだ。

その中国人たちを古参の移民たちは見下しており、差別的な視点によってできあがった法律で苦しめたのである。

薬物問題はそれと結びついた。

アヘンを吸う習慣を持ち込んだのは確かに中国人だったようだが、その習慣を植えつけたのは元々イギリスを始めとするヨーロッパの国である。

アヘン目的の白人女性たちと中国人たちが性的に食い物にされているというイメージもできあがった。

薬物は確かに危険だが、取締法は人種差別が動悸になって作られ、取締りが強化されたのである。

1876年、サンフランシスコで最初の薬物法が制定され、チャイナタウンでのアヘンの吸引が禁止された。

それでも地域ごとに規制され、国家レベルの法律は無かった。

他の地域ではアヘンチンキを始めとするアヘン関連の薬は規制されておらず一般の薬局で売られていた。

頭痛、胃痛、熱、睡眠障害、二日酔い、生理障害、歯痛や下痢などにつかわれており、ビールより安く手に入った。

強壮剤、夜なきの薬などの民間療法的な薬が当時は多く生み出され販売されたが、その多くにはモルヒネが含まれていた。

それらも依存症を生み出した。

当時の女性達は酒場へ行くことができなかったため、それらの薬を飲んで気晴らしをしていたことも影響した。

19世紀後半に行われた調査の結果は当時のアメリカの薬物中毒者の多くが女性だったことを示していたそうである。

中流階級の30から40代の白人でプロテスタントの女性がその中心だ。

医者がほとんどいなかったころ、アヘンを含む市販薬を子供に与え、母親自身もそれを飲んでいた。

そのため、子どもたちにも様々な影響が現れていた。

1906年、薬の原材料表示を義務付ける純正食品薬品法ができた。

それによって人々は自分が飲んでいた薬には危険なモルヒネやコカインが入っていることを知ったのだ。

20世紀の初めまではっきりと法律で禁じられた違法薬物は存在しなかった。

ほとんどの薬物は基本的には合法だった。

アメリカの植民地のフィリピンなどでも麻薬を取り締まれるように国家レベルの法律が必要になったのだ。

キリスト教の司祭チャールズ・ヘンリー・ブレントはアヘンを使っているフィリピン人たちに衝撃を受け、ルーズベルト大統領に手紙を送ったのである。

ルーズベルトはアヘンの危険性について討論する国際会議を企画し、上海で開催した。

1898年、ドイツではアヘンからヘロインを創りだした。

結核や肺炎のひどい咳を抑えるための薬だった。

アスピリンを発売する1年前のことだったという。

注射器とセットで1ドル50セントで販売されていた。

しかも発売から15年ほどの間、処方箋なしに買うことができた。

ヘロインは大ヒットとなった。

しかし、過剰摂取で呼吸が抑制されるなどの症状で死亡する人たちが現れた。

アヘン商品と違い、依存症になったのは田舎の女性ではなく、都市部の若者たちだったという。

ヘロインの錠剤をすり潰して鼻から吸うスタイルはこのころすでにあったらしい。

ヘロインだけでなく多くの薬物が蔓延していた。

1914年、薬物を規制するための初めての連邦法が制定された。

アメリカは現在の銃規制についても国が国民の権利や行動を規制することに否定的である。

その気風は建国当初からあり、薬物規制についても同様の考え方を持つ人が多かった。

そしてフランシス・バートン・ハリソンが麻薬を禁止ではなく麻薬の販売や処方を許可制、そしてそれらに課税することで憲法に違反しない形での麻薬を規制するハリソン麻薬法を制定に動いた。

不法所持という概念はこの後、生まれた。

使用、所持したものも逮捕されたが、医者も1万人が逮捕された。

1923年、カンザス州レブンワースの連邦刑務所では服役している囚人の半分が薬物犯罪者が占めていた。

議会は1924年には治療目的も含めてヘロインの使用を完全に禁止した。

実際に効果はあり、薬物中毒者は20万人から2万人に激減した。

しかし、ヘロインを始めとする薬物が規制されて手に入らなくなったために中毒者による犯罪が多発した。

ヘロインの闇市場ができた。

密売所で作られたヘロイン1kgが1万ドルで売れ、それを8等分や12等分にして売人がさらに売る。

1kgのヘロインが最終的には25万ドルの利益を生むこともあった。

マフィアによる組織犯罪が横行するようになった。

1933年禁酒法が廃止されると、マフィアは取り扱う商品を酒から薬物に鞍替えした。

ラッキー・ルチアーノはヘロインの密輸ルート「フレンチ・コネクション(コルシカ・コネクション)」を影で牛耳っていたとして有名である。

フランス南部のマルセイユでトルコからのアヘンを原料としてヘロインが製造され、ニューヨークまで運ばれていた。

アメリカはトルコとフランスに圧力をかけたが完全に止めることはできなかった。

ニューヨークの芸術家やジャズミュージシャンがこぞってヘロインをこうした闇ルートから手に入れて使用した。

1940年代から1950年代にはヘロインは反抗的なイメージや手に入りやすさから都市部で浸透していた。

都市部に移り住んだアフリカ系やラテン系の人々が主にヘロインを使用していたという。

1956年に薬物犯罪は罰則が強化された。

初犯は2年から5年、2度目は最長10年、3度目には最長20年の刑に科せられた。

それでもヘロインは根絶できなかった。

60年代には薬物の密輸、販売、使用、依存の問題は拡大し、社会問題になっていた。

スラム街だけでなく都市部の白人の若者にまで広まっていた。

中毒者による都市部の犯罪が急増した。

ニクソンは犯罪、その背景になっている薬物の撲滅に取り組んだ。

ヘロイン、マリファナを最も危険な薬物スケジュール1に分類した。

麻薬取締局の長官にジョン・バーテルズを据えた。

バーテルズはベトナム戦争で兵士達がヘロインを使って中毒になっていることを問題視した。

1971年に国防総省は兵士に尿検査を義務付け、クリーンでなければ従軍し続け国に帰れないようにするという計画を立てた。

こうした取り組みもあってヘロイン使用者は減った。

ロナルド・レーガンが大統領になる前後、ヘロインに変わってクラック・コカインが蔓延し始めていた。

それでもヘロイン、アヘンの流れを組む薬物は消え去ることはなかった。

90年代の半ば、製薬会社パーデュー・ファーマは鎮痛薬オキシコンチンを販売した。

オピオイド系鎮痛薬と呼ばれるこの薬はヘロインと同じくアヘンから作られるのである。

ヘロインを錠剤にしただけで構造も脳への影響もヘロインと変わらないという専門家もいる。

製薬会社が2600万ドルをつぎ込んでオキシコンチンを売り込んだ結果、医師による安易な処方が相次ぎ、薬物中毒を生み出した。

鎮痛薬の過剰摂取による死亡者は自動車事故による死亡者数を上回るようになっている。

ヘロイン自体も中毒患者を再び増やし、2007年から2012年の間に乱用者の件数が2倍近くに増えた。

鎮痛薬がきっかけになったと言われている。

669000人のヘロイン使用者がいるという調査結果もあり、その多くが郊外に住む裕福な若者だとされている。

オスカー俳優のフィリップ・シーモア・ホフマンはヘロインを含む薬物の過剰摂取で死亡した。

ヘロインとの戦いは現在も続いている。


アヘンを含めた薬物を煙で吸うという摂取スタイルは、ネイティブアメリカンのタバコが起源だということを初めて知った。

勉強になった。

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arekorebibouroku.hateblo.jp

Mastodon(マストドン)にアカウントを作ってみた

マストドンが話題になったのでアカウントを作ってみた。

作ろうと思った時にはmstdn.jpは新規受付を停止していたのでmastodon.cloudに作って試してみた。

その後、mstdn.jpがサーバーを移転し受付を再開したのでそちらに作りなおしてみた。

mstdn.jp

ちょっと試してみたが、ツイッターと大きく違うようには感じなかった。

ツイッターと同じく各投稿にはURLが与えられ、Mastodonに参加していなくても読むことができるようだ。

mstdn.jp

※記事を投稿した当時は余白がおかしいながらも埋め込み表示できたのだが、コンテンツセキュリティポリシーの問題で表示できなくなっている。

フォローしない人の投稿(マストドンではツイートではなくトゥートという)も見ることができ、それを見ながらフォローする人を選ぶことができるのが違うかも知れない。

流れがものすごく速いが。

現在は、みんな負荷を試したり、投稿文字数を試したり、アダルトなどの規制具合を試したりしている段階だ。

それほど中身のある投稿はない。

無法地帯でみんなが遊んでいる感じだ。

ツイッターも中身はそんなにないが、何かを試すような、探るような投稿はないという意味である。

普段使いに足るサービスかどうか、みんなまだ確信を得られていないようだ。

インスタンス(サーバー)を超えてアカウントをフォローできるというのだが、mastodon.cloudのアカウントをmstdn.jpでフォローする方法がわからない。

これができないと、アカウントを一本化することができないのだ。


追記

アカウントを検索するとフォローできた。

しかし、インスタンス同士がつながっていないと検索しても表示されないようだ。

mstdn.jpに登録した当初は検索しても出てこなかった。

追記終わり


公開範囲も「非公開」と「ダイレクト」の違いが分からない。

追記

返信など、@付きトゥートをするときにダイレクトを選ぶとツイッターでいうダイレクトメッセージのようにその相手だけに公開されるらしい。

追記終わり

投稿欄の上の検索も、それで検索できるのはアカウントとハッシュタグだけで、投稿に含まれる語句は調べられないようだ。

ブラウザで開いた時に、しばらくすると処理が重くなって反応しなくなり、再読み込みしなくてはいけなくなるところも不便だ。

ツイッターから完全に移行する人はまだそれほど出てこないだろうと思う。

もう少し様子見の人がほとんどだろう。

マストドンを使っている人をなんと呼ぶかについてはツイッターにおけるツイッタラーのようにパオッタラーというのが生まれているようだ。

個人的には「パオラー」を推したいが、さほど浸透しないようだ。

今、Mastodon関係の電子書籍を出したら売れるだろうなあ。


追記

案の定、出てきた。

電子書籍は販売までの動きもスピーディーだ。

こちらはこれから販売されるようだ。

初めてのAmazon利用でこれを買った

Amazonで初めて商品を買った。

周波数カウンターは支払いをしたが、広帯域受信機の方はネットバンキングの振り込み限度額の設定を低くしていたためまだ支払いが済んでいない。

カウンターの能力がある程度高いことを期待している。

これも良いかも知れない。

値段の高いものの方が性能が良いのではないかと思うが、これは計測可能な周波数の範囲がわからなかった。

調べたいのは2.4GHz前後の範囲なのでそれが調べられないと困るのである。


一方、広帯域受信機はハンディなのに、デスクトップ(据付け)と同じくらいの周波数範囲を受信できるすぐれものだ。

バッテリーも充電式。

安い広帯域受信機、マルチバンドレシーバーだと電源が電池で、アダプターも別売だったりする。

上の商品は本体とセットでアンテナもついてくる。

Amazonの注文方法は思いの外、使いやすかった。

注文すると、支払い番号を知らせるメールが届き、そこから専用ページへ飛んでそこで支払いだ。

送料はプライムで無くてもある程度の値段で無料になるのでお得だ。

ほしいものリストから注文するとその商品はリストから自動的に削除される。

これまでは主にヤフオクYahoo!ショッピングを利用していたが、これからはAmazon利用も増えるかも知れない。

支払いを済ませて早く届くと良いと思う。

本当は別のものにお金を使いたいのだが、現状では仕方ない。

人が薬物にハマる理由:マリファナ編 HOOKED: ILLEGAL DRUGS: MARIJUANA

『人が薬物にハマる理由:マリファナ編 HOOKED: ILLEGAL DRUGS: MARIJUANA』を見た。

www.historychannel.co.jp

大麻の話は現在は閉鎖されてしまったAbemaTVのVICEチャンネルで良くやっていた。

大麻を取り上げた番組をしているときには必ず大麻容認派でしかも大麻を吸ったことがあると思われる人のコメントが書き込まれていた。

番組によると、アメリカにおいて大麻が危険視されるようになったのは一節には移民が大麻を始めとするドラッグを持ち込んだり、使っていたりしていたためだとも言われているらしい。

移民たちが仕事がないためにドラッグを使っていたり、ドラッグを売ったり使わせたりことを商売にしていたりして、移民街全体がいかがわしい雰囲気だったのかも知れない。

レーガン大統領などが大麻を始めとするドラッグを問題にして、取締りを強化した結果、アメリカでは刑務所が足りなくなり、民間企業が運営する刑務所がたくさんできるきっかけになったそうだ。

そもそも大麻を吸うと人はどのようになるのだろうか?

大麻の人を陶酔させる効果を持つ主成分はデルタ9-テトラヒドロカンナビノール、略してTHC, Δ9-THCと呼ばれるものだそうである。

テトラヒドロカンナビノール - Wikipedia

これが脳に作用して、筋肉を弛緩させたり、緊張感をゆるめたり、高揚感を感じさせたり、知覚能力を低下させたりあるいは逆に神経を鋭敏にしたり、するそうだ。

被害妄想的になるとも言われている。

最近の研究では、THCが脳細胞を破壊する仕組みが明らかになったとニュースで報道されていた。

resou.osaka-u.ac.jp

危険なような気もするが、人間関係や仕事上のストレスでも脳や身体が傷むわけで、それを免れる効果があるなら、どちらを優先するかという問題でもあるかも知れない。

酒だって多くの場合、害になる。

適量飲む習慣を持っている人には良い効果もあるとされるが、その適量は多くの人にとっては少なすぎ、ほとんどの場合、人は酒を飲み過ぎる。

それでもそのようにして日々の憂さを晴らして人生を生きているのだ。

そのようなことを考えると、大麻が脳神経を破壊するなどということを持って即危険ということにはならないような気もする。

ともかく、人類はもともとこの大麻を祭りや呪術、治療などに利用してきたそうである。

中央アジアではスキタイ人が死者を葬るときに大麻を使っていたと言われている。

燃える石炭の上に大麻草やその種をばら撒き、スキタイ人はその煙を吸って高揚したようだ。

中国では、健忘症や生理痛などに対する薬として大麻を用いていたそうだ。

インドの人々にとって大麻は、想像と破壊の神シヴァからの贈り物だった。

大麻は東洋から西洋へと伝わったそうである。

13世紀ごろアラブの人々がスペインへ大麻を持ち込んだ。

大麻が薬としても使われたのかはわからないが、その頃は主に繊維を取るのに作られたそうだ。

船のロープや帆の材料だったのだ。

スペインの無敵艦隊でも使われていたのだ。

日本でも太古の昔から大麻を衣服などに利用してきたとされている。

フランスに大麻を持ち込んだのは、1798年にエジプトに遠征していたナポレオンだったらしい。

この頃のエジプトはイスラム教はすでに浸透していたのだろうか?

だとするとイスラム教ではアルコールが禁じられているので、酒を飲んで酔う代わりに大麻を吸っていたとしてもうなずける話だ。

法の精神というか、酒を禁止した理屈を考えると大麻も駄目ではないかという気がするが。

しかし、番組によればフランス兵たちはブランデーと大麻を交換したらしいから、エジプト人たちは当然そのブランデーを飲んだだろう。

イスラム教は関係ないのかも知れない。

1850年代にはボヘミアンたちは大麻のとりこだったという。

パリの芸術家たちは大麻を愛用し、詩人のボードレール大麻を吸ってそのときの体験を書き綴っていた。

イギリスのヴィクトリア女王は生理痛を和らげるために大麻を使っていたと言われている。

後に他のドラッグ同様、大麻を問題視するようになるアメリカも入植の当初は、大麻を様々な用途に利用したらしい。

大量に育てて、テントや衣服を作っていたのだ。

ぜんそくや生理痛、睡眠薬てんかんの薬として、処方箋なしに手に入る大麻は重宝された。

フィッツ・ヒュー・ラドローが大麻を使って陶酔状態になり、その時の体験を本に著したりして、そのような使い方をする人が増えていったそうである。

1876年、アメリカのペンシルベニア州フィラデルフィア万国博覧会が開かれ、オスマン帝国のパビリオンで皇帝アヴドゥル・ハミト2世が水タバコで大麻を吸うことができるサービスがあり、これにより、一気に大麻を楽しむ習慣が広まった。

アラブでハシシと呼ばれていた大麻を水タバコのパイプで吸える店がたくさんできたらしい。

1900年、ニューオーリンズではヨーロッパや中南米、アフリカからの移民が入りまじり、ジャズなどの独自の文化が生まれ、その土壌に大麻もマッチした。

しかし、治安が悪化し、それと大麻とが関連付けられて語られるようになったそうである。

大麻だけでなく他のドラッグの影響もあったようだが、コカインはいち早く禁止されたために、マスコミは次のターゲットとしてマリファナを選んだとのこと。

大麻が危険視されるようになった最初の出来事となるのだろうか。

人種差別的な論調とともに大麻を危険視する記事が良く書かれたそうだ。

現在でもそうだが、世の中の不安を人種差別などと関連付けると人々に受け入れられやすかったのだろう。

政治家たちは一部の移民、黒人やメキシコ人たちを危険視して排斥するとともに大麻も禁止する法を作った。

1930年に大恐慌で経済が落ち込み、仕事を失った人たちが、酒や薬物にのめり込む人がいたのだろう、酒とともに薬物も一層危険視されるようになった。

1933年禁酒法が廃止されるとその取締りにかけられていた労力を薬物に振り向けるようになる。

連邦麻薬局は1930年に設立されたそうだ。

薬物にのめり込むのは危険視されたのに酒は解禁されたというのは不思議だ。

禁酒法の執行官としてならした38歳のやり手ハリー・アンスリンガーが麻薬局の長官になった。

当初、取締りの中心はヘロインだったが、新聞業界からの働き掛けで大麻の取締りが強化された。

やはり移民排斥とセットになって大麻を含めた薬物の取締りが強力に行われ、ラジオや映画などを使って薬物が絡むと暴力的で悲劇的な事件が起きるとの宣伝がされた。

リーファー・マッドネス』などの映画を見て、人々は大麻の恐怖を植え付けられた。

1937年、マリファナを規制する最初の連邦法に関する公聴会が開かれた。

禁酒法が廃止されたかわりに、マリファナを規制しようとしたのだった。

無条件に禁止することはできず、大麻を所持や販売をするためには政府が発行する印紙を買わなければいけないようにした。

印紙の発行量を制限して大麻が流通しないように画策した。

1937年8月、マリファナ課税法ができ、マリファナの所持、販売には5年の懲役刑か、2000ドルの罰金もしくはその両方が課されることになった。

法律が施行されてすぐにコロラドで2名が逮捕、起訴され、アンスリンガーは判決を見届けるためにわざわざワシントンから現地へ飛んだ。

判事は「全ての薬物の中でマリファナは最悪である。マリファナをやると人はケダモノになる。マリファナは人生を破壊する。あの草を売る輩に同情は無用だ」と言ったそうである。

アメリカ政府は生えている大麻の根絶を試みたが、前述の通り、大麻はロープや帆、衣服、パラシュートなどに利用されるため、簡単にはいかなかった。

第二次世界大戦が起きたためにそれらの需要は高まった。

大麻の吸引を取締りつつも、大麻の栽培を推し進めなければならなくなった。

ジャズドラマーのジン・クルーパや、俳優のロバード・ミッチャムを逮捕、服役させるなど見せしめにすることによって、大麻が社会にとって危険であることを広めるのはやめなかった。

1956年には、施行された麻薬取締法では所持に対して厳しい罰則が設けられた。

大麻所持での逮捕、服役者は3000人から50000人に膨れ上がった。

しかし、かえってそれが大麻アウトローとしての魅力を高め、若者を惹きつける結果となった。

サブカルチャーと結び付き、反体制の人たちが大麻を愛用した。

そのころには簡単に手に入らなかった大麻も1960年代には比較的簡単に手に入るようになり、いわゆるヒッピーたちが大麻を吸っていた。

大麻は平和の象徴、愛の象徴として見直されたのである。

1967年のLIFE誌には「当時の大麻の流行は禁酒法時代以来の法律の蔑視だ」と書かれていた。

マリファナがアメリカ史上、最ももてはやされたのは音楽の祭典ウッドストックフェスティバルだったという。

反体制、親の世代への抗議の意味で当時の若者たちは大麻を吸っていたのである。

1968年、麻薬課税法の是否が最高裁で問われた。

裁判を起こしたのは、幻覚剤での意識革命を説いたというハーバード大学の元心理学教授ティモシー・リアリー

教授時代に学生にLSDを使い職を追われた彼が、麻薬所持で捕まったことを利用して麻薬課税法が合憲であるかどうか問うたのだった。

1969年、麻薬課税法は憲法違反と判断された。

しかし、当時の大統領であるリチャード・ニクソンは諮問委員会からマリファナの使用、所持を処罰しないよう提案されながら、逆に薬物取り締まりに関する法律の改革に取り組み、1970年、大麻をヘロインと同じランクの規制薬物に指定した。

大麻の使用、所持で逮捕、収監される若者が急増した。

一方、イスラエル大麻草から有効成分であるTHCが分離され、それが身体に与える影響が徐々にわかってきていた。

ニクソンの後のジミー・カーター大統領は候補時代に大麻所持、使用の非罰則化を訴えていた。

1975年、ワシントンDCに住んでいたスピーチ・ライター、ロバート・ランドールは自宅で大麻を栽培、使用していた。

緑内障の治療に使っていたのである。

直接、緑内障に効くかどうかわからないが、目への影響については目の充血、瞳孔散大そして眼圧の低下が報告されている。

大麻の医学的研究 - Wikipedia

ランドールは逮捕され、治療のための使用を求めて裁判を戦う。

彼は裁判に勝利した。

こうした動きもあって、1978年までに12の州で大麻の使用、所持を非犯罪化したという。

しかし、77年12月にワシントンDCジョージタウンで開かれたパーティーで、薬物対策の責任者がコカインを使用するという不祥事を起こし、マリファナ合法化の話は立ち消えになってしまった。

1980年初頭に発足したレーガン政権は、大麻を始めとする薬物に否定的な親世代の声を受け、薬物規制に取り組んだ。

薬物乱用の危険性を訴えるCMが流されたり、学校教育などが行われた。

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卵と同じように一度、変性してしまうと脳味噌や肉体は元に戻らないということを表しているのだろう。

「人生に『イエス』、薬や酒には『ノー』と言おう」というキャッチフレーズも広まった。

レーガンは、軍を投入したり、大麻を始めとする薬物使用者の財産没収、政府からの手当の停止など徹底的な取締りを行った。

刑務所に収容されている人の半数が薬物使用者という異常事態になり、民間に運営を委託する刑務所があらわれ、産業化した。

人種差別を背景にした逮捕も多く行われ、マイノリティは逮捕、投獄されたり、前科がついたことによりまともな職につくことが一層厳しくなるなどした。

規制が強まる中、医療用途での大麻利用は進化を続けていた。

80年代、医療用大麻の画期的な発見が相次ぎ、鎮痛作用や発作を抑える効果、がんを抑制する効果などがわかっている。

そうした発見により、医療用途としての大麻使用を求める動きが起こった。

1996年、カリフォルニアで医療用大麻の使用が認められた。

90年代を通して、大麻への悪いイメージは消えていった。

クリントン大統領はマリファナをふかした経験を持ち、オバマ大統領は吸い込んだこともあるという。

21世紀、ネットなどを通じて、大麻を犯罪化することによる弊害を多くの人が知り、そのような弊害を生んでまで禁止にするほど悪いものではないという認識を多くの人が持つようになっていった。

2012年のコロラド州を始め、ワシントン州でも嗜好品としてのマリファナ売買を合法化された。

医療用途での使用は約半数の州で合法とされている。

嗜好品としての使用、売買も合法とする州は増えているという。


アメリカでの大麻規制の歴史がわかっておもしろかった。

個人的には大麻を使ってみようとは思わないが、日本でも合法化しようと言う動きはこれからもっと盛んになっていくと思う。

なお、日本人は海外で大麻を始めとする薬物を使用しても、日本の法律が適用されるため違法である。

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現実問題、海外での使用を証明することが不可能なため捕まらないだけだ。

数学者の藤原正彦さんは本当なら逮捕される。

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言わずもがなのことだが、医療用大麻というものはなく、大麻の医療用途での使用と嗜好品としての使用とが区別されているだけである。