あれこれ備忘録@はてなブログ

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良い性質も悪い性質もあらかじめ望まないことが寛容につながる

togetter.com

www.greatnews.top

プロフィールは正に提供会社の言う通り”完璧”で、IQ160、身長180cm以上、青い目の匿名男性で世界人口上位0.13%に入る人だというのです。プロフィールには続きがあり、趣味は結晶学・アルゴリズム・ 運動、更にはドラムの名手で読書は月に4〜5冊、5ヶ国語を操る、と綴られていました。

www.cnn.co.jp

原告側は、ドナーが虚偽の申告を行い、ザイテックスは審査を怠ったと主張。弁護士は「3家族とも、子どもが深刻な精神疾患を発症するリスクが極めて高い。予防措置も存在するが、そのためにはコストがかかる」と訴え、子どもの将来の医療費を積み立てるため、損害賠償を請求するとした。

同情しますし、表面的というか一義的には確かにドナーの虚偽申告と精子バンクのチェック体制の甘さの責任の追求ですが、このレズビアンカップルは正直に申告していたら絶対にこのドナーの子供を望んだりはしなかったわけでしょうね。

時代が時代ならこのカップルは2人とも同性愛の精神異常ということで親からも社会からも望まれない人たちだったことをどう考えているのか気になります。

異性愛者なら優生主義が許されるわけでないのは、健常者ならば障害者を差別的に扱って良いわけではないのと一緒です。

健常者が自分たちが障害や重篤な病気がないからと言って、世の中をシンプルに考えて、多様性を無視して良いわけではないということで、様々な人が社会に働きかけてきたのと同じように、同性愛者も異性愛者に固定観念を捨てて、考えを再構築してほしいと主張してきたはずです。

LGBTが身体的な特徴としては差別主義者で良いのかなあと思います。

多様性を認めるというなら典型的で理想的な白人を望むのも認めなければという意見もありますが、これって個性を認めるなら個性を認めない人間も認めなければならないと言っているのと同じですよね。

LGBTだって理想的な子供を望んでも良いじゃないというなら、彼女たちの親が彼女たちに異性と結婚して普通に子供を生み、多数の人たちと同じような家族を築いてほしいという要望があれば、それを受け入れなければならないのではないでしょうか?

さらには授かった子供が普通の父親と母親を望んだらどうするのでしょうか?

結局、自分たちに都合の良い多様性だけを認めさせるのではないでしょうか?

差別主義者が差別を認めない活動をしている人たちに対して、「差別主義者を差別するな」と言っているのと同じだし、多様性や個性を認めるというなら、極論としては、倫理や道徳や刑法までも無視する人たちをも認めなければならないと言っているのと同じではないですか?

「デリヘルを呼ぶ」は芸術か 提案に賛否飛び交う : 京都新聞

これと似ている話だなと思います。

多様性を認めるという思想や運動は根本的に矛盾をはらんでいるのでしょう。

だからといって昔のようなシンプルな世の中の捉え方で、差別や選別が行われる社会が良いとも思えません。

一方、障害者が自分と同じ特徴(障害)を持った子供を持つのもそれはそれで問題のような気もします。

arekorebibouroku.hateblo.jp

聾のレズビアンカップルが自分たちと同じ子供が欲しいと考え、精子バンクから5代に渡って耳が聞こえない障害を持った人が生まれている家系の男性を探し出して、精子を提供して貰い、実際に聾の子供を設けたというのです。

これがメディアで報道されるとやはり多くの非難があったそうです。

しかしながら、このカップルは「他のカップルが子供を持つときに自分達と似た特徴をもった子供をほしいと思うのと同じだと思うけど」と率直な感想を述べて反論します。

多くの批判は、多分、子供が障害を持つことをあらかじめ避けることができるのに、それをしないばかりかかえって障害を望んだことについてであったのだろうと思います。

しかし、これは単純にレズビアンカップルの行動が自分勝手で、生まれる前からある姿や特徴を望んだことがいけなかったのかも知れません。

身長だろうが瞳の色だろうが、障害だろうが、生まれる前から子供の特徴をあらかじめ望んではいけない、ということがこういった問題の本質なのかも知れません。

「招かれざるものへの寛大さ」がどちらの場合も失われるのです。

冒頭の記事についてこのような意見もありました。

(純粋に意見で選んだのですが、予期せず『「ひきこもり」だった僕から』の上山和樹さんでした。)

マイケル・サンデル教授の考え方からすると、これは多様性の問題ではなくて、望まないものへの寛容さの問題なのでしょう。

同性愛も障害も病気も、多くの人が望まないものです。

自分がなりたくないし、その特徴を持った他者が自分の近くにいることをも望まない人たちが実際にいるわけです。

そうなるとそれらの性質やその性質を持っている人たちについて周囲の人あるいは社会が寛容であるためには、良いとされる特徴をも望んではいけないのかも知れません。

特にあらかじめ望んではいけないということなのではないでしょうか?

遺伝子ドーピング(遺伝子以外のドーピングでもそうかも知れない)の問題を考えると後天的に望むのもダメなのかも知れませんが。

後天的に望むことも、例えば整形が当たり前になった時に容姿に恵まれなければ整形すればよいのにそれをしないのはおかしいとか、ちょっと違いますが、容姿や人と変わったところを馬鹿にされてもそれをむしろ笑いに変えている芸人がいるのに、それを気にしている人はおかしいとか言ったような理屈を成り立たせます。

望まない特徴を持っている人への寛容さの問題を生むのです。

寛容でない人たちとの関係に悩んでいる人たちへの寛容さも必要なのですし。

togetterのツイートを見て、生命倫理の本質ってこういうことなのかなと思ったら、引用されているNHKの番組出ていたのまさにマイケル・サンデル教授でした。

精子バンクは利用者が特徴を選んで提供を受けることができないような形にするのが良いのかな、例えば、コンピュータでランダムに選ぶような、とも思いました。

精子バンクを利用しない場合は普通、相手が別の人種(人種の区別も意味をなすものではないと言われていますが)でなければ、白人から黒人(のハーフ)は生まれませんが、極論で言えば、白人の母から黒人のように肌が黒ずむ病気の子供が生まれたり、黒人の母からアルビノが生まれることもあるわけですから、精子バンクから提供を受ける場合でもそのような偶然性を受け入れても良いかも知れません。

女性同士で子供を作ることができる技術が早く実用化されれば良いという意見もありましたが、こういうのを望む人たちは結局、子供が遺伝性の病気になったときにお互いの家系に原因を求めて相手を責めるような気もしますね。

受けた生殖医療に起因する病気や障害を持つということもありえます。

結局は偶然性を避けることはできず、望まないものを得る可能性からは逃れられません。

そもそも、病気だったり、レズビアンだったり、結婚の機会に恵まれなかったり、といった様々な望まない状況をも受け入れることが必要なのかも知れません。

産めないことを受け入れるということになってしまいますが。

そもそもゲイのカップルだと産めませんしね。

不公平です。

ここまでの考えの中でも一貫性のなさや矛盾があるとは思いますし、私のような浅い考えではわからないし、気が付きもしない問題がこれらの出来事には含まれているでしょう。

本当に難しいですね。

映画『ガタカ』を引き合いに出しているはてなブックマークコメントもありました。

障害や病気になる可能性が極めて低く能力が高くなると期待できる精子卵子を選別して作った子供でなければ自由に職業につけなくなっている世界で、自然生殖で生まれた子供が身分を偽って宇宙へ行くことを決意する話ですね。

名探偵モンクトニー・シャルーブが出てました。

全然、関係無いですが。

wired.jp

ガタカの世界は確実に近づいてきていますね。

はてなブックマークのコメントをざっと見た感想

b.hatena.ne.jp

生まれた子供の、他の子供よりも少し優れていると見える言動から親バカ的に「末は博士か大臣か」と将来に期待するのと、生まれる子供の特性をあらかじめ選ぶのとは違うのではないかと思うのですが。

結局、性的志向多様性を認めろと異性愛者に求めることは、異性愛者に清廉潔白であれというのと変わらないし。

やっぱりルーレットみたいな感じでランダムに選ぶのが良いのでしょうかね。

そんな精子バンクだれも利用しないような気もしますが。

遺伝病を避けることを望むのも究極的にはいけないのかも知れません。

同じ障害でも欠損女子みたいな身体障害は認めても、精神障害精神疾患知的障害には差別的なのははてなも一般社会と同じなのでしょうね。

wotopi.jp

後天的な障害なら良いのですかね?

精神疾患も環境要因が大きくて、後天的に得ている側面もあるのですがね。

だったら、いっそLGBTのようなマイナーな性的志向も病気だという差別的な考えを持っていたほうが主義が一貫していてシンプルに思えます。

だからガチガチの差別主義者は、多様性を認めるべきという考えの人たちよりもいつも強いのかも知れません。

最後には差別主義者が勝つのが世の常か。

検索していて実際そのような精子バンクがあるらしいことがわかったのですが、精子の提供者の側がそれを受ける側の人物に厳しい条件を求めていて、病気や障害のリスクがないとか同性愛者でないとかいうことになるとどうなるのかなと思いました。