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鈍感力とレジリエンスは違うのか?

NHKクローズアップ現代でも取り上げられて「レジリエンス」という言葉がちょっと流行っていますね。

かくいう私もクローズアップ現代で知ったのですが。

“折れない心”の育て方 ~「レジリエンス」を知っていますか?~

 

10年ちょっと前には小泉純一郎元首相が言及したこともあって「鈍感力」が流行りました。

鈍感力はすぐにわかるとして、レジリエンスとはなんでしょう?

 

レジリエンス (心理学) -Wikipedia

 

クローズアップ現代では「打たれ強さ」とあります。

Wikipediaの中で考えても、「抵抗力」「耐久力」と考えれば、鈍感力と同じものと考えられるでしょう。

しかしながら、「精神的回復力」「復元力」と考えるとちょっと意味が違ってきませんか?

傷ついても、そこから立ち直る力、それがレジリエンスだと考えられるのではないでしょうか?

鈍感力というのは、そもそも傷つかない力です。

さらに言えば、それは生まれつきの特性であるという意味合いが強いように感じます。

他人に批判されたり、困難な状況に陥ったときに、反応しないようになるということがどの程度、後天的に体得可能なのかかなり疑問なのです。

認知行動療法でも、傷つく状況があったときに最初にどう感じたか?とどのくらい苦しいかを評価し、その後、別の考え方・視点はあるか?そう考えると苦しさや傷つき具合がどのくらいになるか?を再び評価します。

訓練をしてもきっかけの最初は必ず傷つくのです。

そうでなければ認知行動療法メソッドを試す機会がそもそもありませんから。

そもそもそういう人は認知行動療法を学ぶきっかけもないわけですが。

前から考えていたことですが、自分の知人に起こったことを見て、かなり確信めいてきたことがあります。

鈍感力の高い人も、傷つくエピソードのハードルが高いだけで状況がそうなれば傷つきます。

そうなった時にはやっぱり、その状況を恥に感じて隠したがるし、そのことについて気に病んであれこれ考えます。

やめろと言われていてもこれまでは気にしなかったようなことについてやっと反省し、過去を振り返り始めます。

そういう人はそれ以前には、「くよくよ考えるのがいけない」とか他人が傷ついたエピソードについて「本当にそんなことあったの?」と疑いを持って、安易に否定したりします。

うつなどの病気になったときに、病院に頼るな!と言う人もいれば、病院は絶対に正しく薬をちゃんと飲めば治るという決め付けをしたりします。

ご飯を1日3食食べていれば治るなどと言う人までいます。

ネットの普及で個人が情報を発信・共有ができるようになって、病院のなかでも特に精神科クリニックで薬を多種類・大量に処方している問題がようやく明らかになってきました。 NHKでも取り上げられました。

下のものはそれを再編集・加筆された書籍です。

 

知人は、病院の言うことをちゃんと聞いていれば病気は治ると思っていたタイプで、漫然と出され、診察のたびに増えていく薬を、これまた漫然と飲んでいました。

ふらふらになり、ろれつが回らず、飲み物が口から漏れていても気が付かない状態でした。

その状態が引き起こしたある出来事で恥ずかしい思いをして、ようやく別の病院へかかり、薬の種類が変わり、何より量が減ってやっと思考がクリアになり、自分の過ちに気がついたようです。

そうなると自分の病気について真剣に考えるようになり、以前の病院の診断や自分のこれまでの行動から、自分の病気が単純なうつ病なのか考えるようになりました。

自分がそういう目に会うと、私に対する認識も変わりはじめ、やる気が出ない状態や気分の落ち込みについては理解するようになりました。

しかし、元の考え方が鈍感力にあるので、自分が経験していないことは相変わらず否定してかかります。

これは特別、鈍感力がある人に限ったことではありませんし、私にももちろんあることですが、「人は自分の努力だけは認められるべきで報われるべきだ」と考えるものです。

傷つきやすい人と傷つきにくい人とでは努力の度合いも、努力が必要な事柄も随分違うはずです。

自分がした努力だけが認められるもので、それ以外は必要の無い物だと考えがちで、それが必要な人は弱い人間だと考えがちです。

また自分がした努力と同じことをしても自分と同じ結果が出せない人間もまた弱い人間だと考えるのではないでしょうか?

傷つきの多い人は、他人と同じ努力をしていることが多いため、共感できる事柄も多いものです。

鈍感力が高い人はその分、共感力が足りず、上で上げたような考えを持ちやすいと思います。

鈍感力の人は自分の今の不調は他人に配慮して欲しいと思いますが、自分が以前、他人の不調に配慮しなかったことはあまり関心がなく、思い出さないのでそもそも反省もしません。

これまでうつ病やそこに親和性のある人たちを弱い人間だと思っている人は、自分が同じような状況に立たされたり同じような病気になった時、自分が過去にしてきた他人の評価がそのまま自分に返ってくる上、そのように評価してきたという罪が加わるのでその分辛い気分になる、だからそのように考えるのはやめるべきだ。

私はもともとそう考えていたのですが、どうやらその考えは間違えているようです。 鈍感力で生きてきた人は、うつやその他の病気になってもやっぱり考え方は変わらないようです。

 

現代社会では、サイコパスとともに鈍感力も評価されやすいので、少し傷つきやすい人や気持ちの弱い人、どちらかといえば暗い部類に入る人は以前よりも相対的に辛い立場に立ちやすいのかも知れません。

そういった人たちとは別の価値観で生きていける方法を、うつ病の人やひきこもりの人たちが模索するのは必然で避けようのないことなのかも知れないですね。

 

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この状況に気が付かないと、結局、鈍感力の人がレジリエンスを持った人の代表となってレジリエンスを語り始める可能性もありますから、そうなるとちょっと救いがないかも知れません。