プリペイドカードで生活保護の人の支出を管理するのは悪法だと思う
プリペイドカードで生活保護の人の支出を管理するのはそこまで酷い政策ではないと思う。
ご飯を自宅で作って食べたり、家で服を洗濯したり、食器を割らないように洗うのさえ、ある程度小さいころから訓練された文化資本だということを世の中のほとんどの人は理解していない。
今、探してみたら既に見つからなかったのですが、以前、北海道のNPO法人が「電車の乗り方」など普通の人であれば自然と覚えていくであろうことを、引きこもり、対人恐怖症などで覚える機会が無かった人のために解説したWebページを作っていました。
実はそれが訪日外国人に好評だということで、その後再び話題になりました。
そのサイトは見つかりませんでしたが、今はYahoo!知恵袋やNAVERまとめなどで同じような生活に関するHOWTOを解説するページが作られていました。
ところで、別のニュースでアフリカなどからヨーロッパの国々へ来た難民が、何故か少なからぬ人数がせっかく認められた亡命申請を無にするように、場合によっては不法な手段をつかってまで苦しかった国へ帰ってしまうというニュースを何かで見ました。
理由は、大きく遅れた途上国、しかも難民を生むほど貧しい国から、先進国へ来た人にとってその国社会のほとんどが理解できないシステムによって成り立っているために、普段の生活が成り立たないのだそうです。
上述のような電車の乗り方、ATMの買い方、職探しの仕方、生活保護などの申請の仕方などなどが、そもそも無い国から来た人たちにとっては、未知であるばかりでなく恐怖であったり慣れなくてわずらわしく違和感を感じさせるだけの毎日を生み出す根源になってしまうわけです。
それよりは貧しくても自分が理解できる世界へ戻りたいと思う人が難民のなかに出てきてしまうということですね。
引きこもりやその他の障害であまり社会とつながることができなかった人が社会復帰をするのには同じような意味の困難があって、特にそのような人たちを支援する取り組みをしているのは当然大都市圏であって、田舎からその支援団体のお世話になる人にとってはほとんど難民が感じるのと同じような違和感があるわけです。
生活保護の人たちも生活の中で社会勉強をする機会が失われていれば同じような問題があるでしょう。
そのようなことを考えると件の記事の、引用部分の主張は正しいと思います。
しかしながら、プリペイド・カードでその問題をクリアできるでしょうか?
生活保護受給者用のプリペイドで消費するという、他の人がしない特殊な買い物の仕方を学び、それによって消費する場面が常に他人の目を気にして恥を感じる場面であるということを学習することが、上で挙げられている問題を解決することになるのでしょうか?
そもそも限られた額で普段生活できているのが生活保護世帯ですし、ギリギリであるために子供が電車の乗り方を学べていないとすればそれは受給額が足りないためです。
十分な受給額が支給されているのにその一部をきちんと子供の社会スキルを高めるために使っていないとすればそれはその受給者の問題だと思います。
受給世帯でなくとも同じように子供に生活する力を育てる経験をさせていない家庭はありますし。
生活保護世帯に限らず、子供が社会経験を詰めないという大きな意味でのネグレクトをどうするか?という問題があることはわかりますが、それとこのプリペイド問題は別である気がします。
問題提起をしているブログ記事では、プリペイド・カード方式の導入は、スティグマを受給者に感じさせることで申請をとどまらせたり支出を抑えるためのものである、というのが本音だろうとして結んでいます。
本音どころかそれ以外の目的は無いのではないかと個人的には思います。