こころの時代~宗教・人生~ アンコール「待てない時代にどう育てるか」
『こころの時代~宗教・人生~ アンコール「待てない時代にどう育てるか」』を見ました。
どうやらアンコールらしいです。
最初の放送は2010年のようです。
山形県小国町の基督(きりすと)教独立学園は、豊かな自然に囲まれた山中で、教師と生徒が24時間生活を共にする全寮制の高校。内村鑑三の教えを受けたキリスト者によって、真の教育を志して創立された。生徒たちは、教室での授業や野外での労働を通し、自分自身に対して抱いていた「こういう人間だ」という心の殻を打ち捨て、次第に広い世界に目を開きながら成長していく。高校生たちの成長の姿を、校長の安積力也さんが語る。
生徒の朝の礼拝での告白、自分は良い子のふりをして悪い自分を見ないようにしていた、そのため嘘やごまかしがうまくなった、という話。
よく言われている良い子が危ないとか生きる力が足りないといった指摘の中での良い子とはちょっと違う気がしました。
それは多分、この学校がキリスト教を背景にしているからだと思います。
親や周囲の大人が望むから良い子を演じて来たというのもあるでしょうが、根本的に神からは悪い事よりも善くあろうとすることを望まれているはずで、告白した生徒も良い子で在りたかったといってます。
この生徒は良い子であることに疑問を感じたのではなく、良い子でありたかったのに、そうでない自分がいることを認めざるを得ないことに直面してしまったことに対する苦悩を吐露したのだろうと思います。
良い子でありたかったのに、結果的に良い子を演じているに過ぎなかったこと。演じるために悪い自分がいることを無視し、それを隠すために返って嘘やごまかしといった悪を重ねてしまったことに気がついてしまったということなのではないかと思いました。
この学校では入学時に4つのことがらについて守ることを約束(契約)するのだそうです。
酒を飲んだり、たばこを吸ったりしないいじめやいやがらせなどをしない
暴力をもって、物事の解決手段としない
特定の一対一の男女交際をしない
もちろん多感な時期ですから、全ての人がこの約束を守ることができるわけではないそうです。
この約束を守れなかった場合、生徒達は自分たちからそのことを告白するそうです。
また、ある特殊な空間であるこの学園で過ごす間には多くの生徒が根源的な悩みを抱えて、語り手である校長先生に相談してきたり、上のような礼拝での告白をするそうです。
しかし、このような経験を経ることで多くの生徒が壁にぶつかり、その壁を作っている自分を破壊し、そして再生・再構築し、よりたくましく育っていくそうです。
私が思うに、精神的な病を抱えた人たちは少なからず同じような悩みを抱えたはずです。
意識したのが病気を発症したあとであったにしても、もともと自分の存在という問題に何らかの疑問があったのだろうと思います。
しかし、病を抱えた人たちはそれと向き合うのが遅すぎたか、向き合うには精神的・肉体的な体力が足りなかったのではないでしょうか?
粘りの効く、若い頃に、適切な大人たちのサポートを受けながら、この問題にきちんと向き合うことができていたら、たとえ病を抱えたとしても、それを乗り越えることができていたかも知れません。
私もそういった学生時代を過ごしたかったと思います。
もはやそれはかないませんが。
「神を畏れて、人を恐れない」という言葉が印象的でした。