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白熱教室のマイケル・サンデル教授が遺伝子操作の問題を考える

この本はNHKで放送されて話題になったハーバード白熱教室マイケル・サンデル教授が書いた本です。

彼は以前、治療困難な病気や不妊治療に於ける遺伝子操作の倫理的な問題に関して考える会議に参加し、そこで得た経験やその機会を通して疑問に感じたこと、そして彼なりの答えをこの本の中で述べています。

 

冒頭でまずショッキングな事例が紹介されます。

 

聾のレズビアンカップルが自分たちと同じ子供が欲しいと考え、精子バンクから5代に渡って耳が聞こえない障害を持った人が生まれている家系の男性を探し出して、精子を提供して貰い、実際に聾の子供を設けたというのです。

 

これがメディアで報道されるとやはり多くの非難があったそうです。

 

しかしながら、このカップルは「他のカップルが子供を持つときに自分達と似た特徴をもった子供をほしいと思うのと同じだと思うけど」と率直な感想を述べて反論します。

 

ゲイやレズビアンのカップルやシングルマザー、通常の不妊治療で人工授精が日本よりも頻繁に行われているアメリカでは、学歴や身長など、知能や体の特徴を親が好みで選んで、そのような子供が生まれる可能性の高い精子卵子を使って子供を作ることが、このころ既に数多く行われていました。

 

生まれつき、IQが高かったり、金髪だったり、目の色が青いといった特徴を持った子供を持つことを望むのと同じように、彼女達は自分の個性である耳が聞こえないといった特性を持った子供を欲しいと思い、それを実行しただけなのです。

 

最近、男女の産み分けに日本ほど厳しくない東南アジアで日本人が多数人工授精の処置を受けているということが報道されましたが、上のような問題をどのように考えるのでしょうか?

 

日本においても性別や病気の有無を調べる出生前診断の倫理的な問題は議論されていますが、既に妊娠している胎児や、子宮に戻して着床しさえすれば胎児に成長する受精卵を診断すること、そこで問題が見つかったときに命を奪っていいのかというところにとどまっている事がほとんどです。

 

しかし、精子卵子の段階で遺伝的な問題を回避できるとして選別するのは果たしてOKなのでしょうか?

 

逆に問題であるとすると、妊娠を目的としないSEXやマスターベーション、生理はすべて問題だということにならないでしょうか?

 

この本にはその他スポーツにおける遺伝子ドーピングなどの問題についても課題と、いくつかの批判に対してそれが抱える欠点が指摘されています。

 

遺伝子操作に限らず、日本では向井亜紀高田延彦夫婦が裁判にまで訴えた代理母出産とその子供の法律上の親を決定する問題、さらにはてんかん発作を持ちながら重機を運転して小学生を轢いて死なせてしまった男性の問題について考えるとき、この本で指摘されている点はとても重要だと思いました。

 

少なくとも日本では倫理的な問題に厳しいようでいて、実はアメリカよりも宗教的な縛りがない分、声を上げた弱者が支持されて正当化されると際限なくことが進んでしまうような、確固たる考えもなく節操がないところがあって、危険が大きい感じがします。

 

上の代理母出産やてんかん患者の交通事故などのように、それが抱えている問題がきちんと考えられないまま、安易に支持されたり、徹底的に叩かれたりします。

 

私には遺伝子操作が肯定されることで起こりうるとサンデル教授が指摘している問題はすでに日本では起こってしまっているような気がしてなりません。

 

それはサンデル教授によれば、すべてを人間の手において操作し、選択することが当たり前になることで「非贈与性の倫理」が破壊されるということだそうです。

 

これを失うと「われわれの道徳の輪郭を形作っている三つの主要な特徴すなわち謙虚、責任、連帯に、変容がもたらされる」、そして「招かれざるものへの寛大さ」を失うと教授は指摘します。

 

つまり、いい意味でも悪い意味でも天から、すなわち人間が操作しえないものから与えられた病気、特徴、運命に対して、自分自身も周囲も認められなくなるということです。

 

「自己責任」という概念が無批判に受け入れられて、その論理によってさまざまな問題に対する責任を個人に押し続ける状況がいくつも見られる日本では、この問題はすでに起きています。

 

代理出産不妊に悩む人たちの悩みによって安易に正当化することで、てんかんのような先天的な疾患を持つものが社会から受ける不利益に目をつぶり、その社会で生きるために病気を隠したことが批判されるのです。

 

「招かるざる者への寛大さ」は先天的な病気や障害だけではありません。

 

ひきこもりや、うつなどの精神疾患を抱える人、格差社会や貧困・ホームレス問題に対して、世間がいつも行っている、偏見や差別心を背景にしながら自己責任論によって正当化された非難も同じなのです。

 

遺伝子操作などにアメリカよりも厳しい倫理的制限があるはずの日本で、すでにアメリカ以上に倫理的な問題が起こっているということです。

 

それは制限がきちんと倫理の観点で突き詰めて議論されていないせいでしょう。

 

情緒によってなんとなく肯定したり、否定したりするのに、乏しい根拠をもとに激烈に支持したり、完膚なきまでに叩きのめそうとしてみたりするのが日本人の異常なところだと思います。

 

これは日本が抱えるいろんな問題に共通しているのではないかと思います。

 

考えてみるほど、この本は必ず読んでおかなければならない本だという気がしてきました。

 

必読の書です。

 

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