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『日本人を冒険する あいまいさのミステリー』呉善花

金美齢さんなど、世界的に誤解され、その間違った捉え方によって偏見や差別的な扱いを受けてる日本を鼓舞し、時に叱咤激励してくれる外国人は何人かいます。

しかし、この呉善花(オ・ソンファ)さんは韓国人でありながら、冷静に時にやさしく、日本人ですら誤解している日本人論を正してくれています。

暖かく感じるのは、日本に同情的だからではないようです。

世界基準でない部分、外国人とりわけ欧米人に対して韓国人・中国人よりも付き合い方が理解されにくい部分を著者はダメなところだと捉えていないところです。

著者は、そういった部分を日本人のアジアの枠にすらあてはまらない大きな特徴であると捉え、問題はその理解の仕方に失敗している外国人にあると考えているようです。

日本についてももちろん改善すべき点はあるけれども、それはそのようなところを変えるべきだ、ということではなく そういった特徴を自身も十分理解しきれずに海外に効果的に発信しきれていないことにある と捉えている。

少なくとも私はそのように解釈しました。

欧米は、日本研究において、日本は近代以前は主に中国から、そして近代以後は欧米から文化を受け入れて発展してきたアジアの一地域であると考える。

しかし、その大枠でそのように捉えて間違いの無いその認識とのズレを何故かいろいろな場面で頻繁に感じさせられ、それが上のような日本人論的な解釈では説明できないがために、いらだちを感じさせられるのだ ということが日本人を必要以上に奇異な存在に感じさせ、偏見や差別的な目で捉えがちになる原因となっているのではないか とおおまかに言えばそのようなことを主張しています。

中国や欧米の文化を取り入れたところは他のアジア圏の国と同じであるけれども、取り入れた人たちの根底に何か特徴的な違いがあるのではないか? と著者は考え、これまでの著作でも指摘した寺院の建築法が日本で大きく変わったことや、音の認識の仕方の違い、言葉にも現れている「超自然的存在に対する絶対的な受け身」について持論を展開します。

そういった民族的に決定な違いに注目せずに「日本人は道徳的な基準が無い」とか「模倣がうまいが独創性に欠ける」「自分がない」などというのは外国人が日本人に対する理解の仕方に失敗しているし、 場合によって「こういう時にはこういう態度や考えをするのが人間本来のあり方だろうに日本人は…」などいうのは人間として日本人を否定しているわけで差別なんだ ということが、本を読んで明確になりました。

海外の人達の非難に対するあの納得いかない感覚の正体はこれだったのではないかと思いました。

彼女、オ・ソンファさんの経歴を見ると大東文化大学で英語学、その後、東京外国語大学で北米地域研究をそれぞれ専攻、修了しており、日本人研究は専門ではないようです。

しかしながら、とても日本人論に関して多くの著書があり、その知識の広さと深さは上の本を読んだだけで十分に感じられます。

想像の通り、彼女は韓国では好意的には受け止められておらず、売国奴と呼ばれることもあるそうです。

最近では、親族の結婚式に出席しようとして韓国当局に入国を拒否されています。

しかし、決して日本人をヨイショしているのではなく、日本人の気質がある場面ではともすると甘えや無責任を生むことも指摘しています。

この評価すべきは評価する態度は、台湾人の作家や評論家・学者にはよく見られ、日本人は彼らに勇気づけられることが多いですよね。

韓国人なのに、そういった台湾の人たちと同じようなものを感じるのはめずらしいし、なぜなのだろうと思ったのですが、 彼女はチェジュ島の出身なのだということが分かり、少し納得しました。

本土から離れた島は、ずっと中央からあまり顧みられず、文化的にはいい意味では独自の悪い意味では遅れていることが多いですし、さらには多くの場合、罪人の流刑地になるなど台湾との共通点が多いのです。

そういった地域の人々はたぶん、状況を冷静に見ることが出来る能力を身につけているんでしょう。

私はよく思いますが、一般人にとっては日本が占領しようが中国や韓国が統治していようが、御上が変わったという意味では同じで、そのたびに振り回されるのだというところも同じなんじゃないか?と思うのです。

それをある程度、理解でき冷静な目でみられるのがこういった本土から離れた島に生きてきた人々なんだと思います。

民主党は外交について素人の人が多いと批判されますが、これまでプロが関わってきた結果の今の誤解され無視されつつある状況があるわけですから、必要なのはこの本に書かれているように日本人自身が日本人の特徴について理解し、「あなた方の日本人論が間違えているんだ」と時に喧嘩腰になることを恐れずに主張していく大枠でのスタンスなのではないかと思います。

そこさえ定まれば、それこそ外交のプロである外務省官僚がその方針に基づいて具体的なことをやってくれるはずで、やってくれないんだったらいても意味がありませんから、国家公務員削減の対象にすればいいだけの話です。 久しぶりにいい本を読みました。