あれこれ備忘録@はてなブログ

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日本人はネットのつながりも煩わしい!?孤独は良いことだ! TED動画 シェリー・タークル 「つながっていても孤独?」とスマホアプリ『ひとりぼっち惑星』

www.itmedia.co.jp

スマホアプリの『ひとりぼっち惑星』が話題だそうですね。

やったことがないのでくわしくはわかりませんが、ゲーム内の部品を集めるとそれに対応したユーザーからのメッセージを受信でき、しかし、その相手に返信はできないという一方向のメッセージのやり取り(?)ができるというものだそうです。

―― なぜ「ひとりぼっち惑星」がこんなにも流行したのでしょうか?

ところにょり やっぱり「みんな寂しいんだな」と思いました。どれだけSNSが乱立してコミュニケーション過多な時代になっても、常にいろいろな形のコミュニケーションを貪欲に求め続けていると言いますか、ひとりぼっち惑星では少なくともここ最近にはなかったコミュニケーションの形を提示できたと思うので、そういうのが時代に偶然合致したのかなと思います。

 ところにょり氏はひとりぼっち惑星の「返信できない」「送っても反応を期待できない」この2つのシステムがあるからこそ「ずっとひとりぼっちでいられる」という。

 リアルな場であれば、何かを話したら相手の反応が欲しいはずだが、アプリ内ではこれとはまったく逆のアプローチをアプリ内で行っている。このあたりに、筆者はところにょり氏の価値観が強くアプリ内で反映されているように感じた。

日本人は程良く孤独でいたいのかも知れないな、と思いました。

私はこれを見てTEDのシェリー・タークル 「つながっていても孤独?」を思い出しました。

シェリー・タークル 「つながっていても孤独?」 | TED Talk | TED.com

問題に巻き込まれていると 感じるからです お互いの 人間関係の問題ばかりでなく 自分自身と どう関りあうかという問題 や 自分と向き合う能力の問題です 一緒にいても 一人ずつという 新しいスタイルになれはじめたのです 誰かと一緒にいたい でも同時に どこか他の場所とも つながっていたいのです 人間は生活を操りたがる どんな場所でも 出たり入ったりしたがります なぜなら一番重要なのは どこに意識を向けるか 自分で決めることだからです つまり役員会には出たいけど 本当は興味がある部分にだけ 注意を払いたいだけなのです それが良いことだと考える人もいます でも最終的には 常に連絡しているにも関わらず お互いに避けるように なってしまうのです

どの世代の人でも いつも つながって いたいようです ただし 程よい距離があり 自分がコントロールできる 関係に限ります これをゴルディロックス効果 と呼んでいます 近すぎず 遠すぎず ちょうどいい距離

私は人々に聞きます 「会話の何が問題なの?」と 皆こう言います 「会話の問題点は リアルタイムで進むこと― 自分で言いたいことを コントロールできないから」 それが本音です テキストメッセージでも メールでも 投稿でも 見せたい自分だけを 見せることができます 編集することができるし 削除することもできる ということは書き直しができ 顔も 声も 肉体も 小さすぎず多すぎず ちょうどいいくらいに 書きなおせるのです

現実のコミュニーケーションは煩わしいと欧米の人も感じているようです。

ネットを介した関係では、程よい距離が保てるのだと考えている人が多くなり、コミュニケーションしたいという欲求を満たして孤独を避けつつ、煩わしさを避けるというスマートな(あるいはスマートと思える)あり方を、現代の技術は可能にしたのです。

このところ 皆さんのポケットにある携帯電話は 心に変化をもたらしています 携帯電話が与えてくれる― 3つの幻想のせいです 1 好きな所に 意識を向けられる 2 常に聞いてもらえる 3 決して独りぼっちにならない 3つ目の幻想― 決して一人にならないということが 心理変化を 主に引き起こします 人は一人になったとき それがたとえほんの一瞬でも 気持ちが乱れ パニックに陥り 気をもみ デバイスに手をやる

しかし、薄く広いつながり方は、つながり中毒のようなものを生み、より広く、長い時間繋がっていなければという強迫観念を人に持たせてしまっていないか?とシェリー・タークルは言っています。

ネット上のつながりを求めて現実のつながりを避けて希薄にしているのに、人はよりつながりを求め、それが満足でいないと孤独を感じてしまっているのでは?とシェリーは問いかけます。

つながっていても 孤立するのはなぜでしょう 孤立してしまうのは 孤独に耐える力や 1人でいられる力を 養わないからです 孤独の中で自分を見つけ その上で他者に近づき 真の関係が築かれます 孤独に耐える力がないと 不安にならないために または生きていると感じるために 他の人に近づく そうなると 相手を理解できなくなる それはまるで彼らを 自身の頼りげない感覚を支える スペアパーツのように 扱ってしまうからです 常に接続していることで 孤独ではないと勘違いしてしまう それは危険です 本当は正反対だからです ひとりでいられなければ より孤独になるからです そして子供達に一人でいることを 教えなければ いつか 孤独になってしまう

この前の社交的であることが最善である、という固定観念に疑問を呈し、一人ぼっちで自分と向き合う時間を持つことも重要であると指摘したスーザン・ケインと似ていますね。

arekorebibouroku.hateblo.jp


日本人はどうなのでしょう。

ブログやFacebookツイッターなどのSNSにおいても人とのつながりに煩わしさを感じている人は多いのではないでしょうか?

アクセス数が伸びて、たくさんの人に自分のメッセージ、考えを見てもらえるとうれしい半面、それが続くと、見に来てくれる人たちを意識して、自分を良く見せたり、彼らが望むような内容の記事・メッセージを発信しなければという強迫観念が生じてきますね。

マンネリ化してくるのと並行して、この思いが強くなってくると、いわゆるブログ疲れ、SNS疲れと呼ばれる状態になってしまいます。

『ひとりぼっち惑星』というアプリのヒットは、誰から来るかわからない、一方通行のメッセージを受け取り、しかも返信できない、自分にとっても誰に届くかもどう届いた相手にどう思われたかも知ることができないメッセージを送るという仕組みが、コミュニケーションの煩わしさを感じる日本人にあっていたからかも知れません。

欧米人よりも傷つきやすさを遺伝的に持っていると言われている日本人らしい現象なのかも知れませんね。

シェリー・タークルの指摘では、ネット上のコミュニケーションに依存することでよりたくさんの人や多くの時間、繋がっていなければという強迫観念を生むと言っていますが、日本人はより浅く繋がりたい欲求があるようですね。

欧米人も日本人も現実のコミュニケーションは煩わしくて、適度な距離感をコントロールできるコミュニケーション方法を求めています。

人との関係は面倒だが、孤独は嫌だというのは同じです。

しかし、日本人はより浅いよりゆるい、さらに削ぎ落されたコミュニケーションを求めているようです。

欧米人はFacebookなどのSNSで本名や顔写真を載せることにあまり抵抗を感じないのに対して、日本人は匿名性を好む傾向があることとも関係があるのかも知れません。

一体どちらがより人を孤独にさせるのでしょうね。

日本人はなかなか一筋縄ではいかないのは確かですね。

日本社会は孤独になりたくても世間が孤独にさせないからかも知れません。

“専門家”抜きで引きこもり問題は解決できるか同調圧力の孤立社会から自力で這い上がる方法|男の健康|ダイヤモンド・オンライン

孤独でいることを許さない同調圧力が人を孤立させるというのは興味深いですね。

田舎のメンヘラーは何が辛いかといえば - あれこれ備忘録@はてなブログ

記憶が正しければ、斎藤環さんがひきこもりや精神疾患・精神病の軽症化の背景に、日本社会が病気を重症化させるほど孤独でいさせない世間があることを指摘していたと思います。

狂って周囲のことがわからなくなるほど、あるいは周りのことなど気にせず「うわーっ」と叫び出せるほど孤独でいさせてもらえないために、正気は保ったまま苦しい状態が続いてしまうということです。

ブログ疲れ、SNS疲れを起こしやすい人が多い割には、メンヘラ系の記事に中傷のようなブコメをしていくはてなーに代表されるネット民の行動にもそれがよく現れている気がします。

ネット上のつながりですら煩わしさを感じるのに、一方で自分たちがその原因の1つである同調圧力を作り出す世間というものの一部になっているのです。

日本人は自分で自分の首を絞めていませんかね?

『ひとりぼっち惑星』がヒットしたというニュースからこんなことを感じたという話でした。