スターウォーズが好き過ぎて、いろいろツッコミを入れるファンたち
ピープル VS ジョージ・ルーカス
スターウォーズが好きすぎて、ジョージ・ルーカス監督のことが可愛さ余って憎さ百倍の状態になっているファンたちを記録したドキュメンタリー映画です。
スターウォーズのファンたち
スターウォーズはファンが見て楽しむだけでなく、インスパイアされた作品を作るなど参加して楽しむ動機を作る作品なのだろうと思います。
当時からファンたちが演劇や人形劇や漫画などいろいろなファンムービーを作ったらしく、現在でも作られていてYouTubeなどで見ることができます。
著作権問題が厳しくなり、演劇や人形劇などでオリジナルのストーリーをなぞったファンムービーは著作権違反にあたるとして削除されたことがありましたが、ルーカス・フィルムが要請し、削除を撤回させたこともありました。
「ファンムービーは削除するな」――LucasfilmがYouTubeに要請 - ITmedia ニュース
スターウォーズに影響を受けて映画監督、特殊効果や映像技師、物理学者や天文学者になった人もいるそうです。
ディズニーピクサーの最新作『ズートピア』でも、スターウォーズのシーンのオマージュがあるようですよ。
好き過ぎて映画のビデオ化された作品やフィギュアなどが出る度にそれらを買い、時間とお金を捧げる事になった人も数知れず。
「ジョージ・ルーカスは私の人生を奪いました」とまで言う人もいました。
そのハマり様はもはや麻薬中毒に近いと指摘する人もいました。
デジタル化作品「特別編」に対する不満
そのくらい好きだった為に、その後、ジョージ・ルーカスが作品に修正を加えた特別編には不満を持つ人も少なくなかったようです。
ダヴィンチがモナリザを今になって書き直すという様なものだとも。しかし、ダヴィンチを始め中世の画家も自分の作品を何度も書き直しています。
CNN.co.jp : モナリザの下に3つの肖像画あった、モデルの真の姿か
20世紀Foxのクレジット画面が長めに移されるようになったために、作品冒頭のタイトルが流れる速さが早くなってしまったこやジャバ・ザ・ハットのシーンの描き方などです。
ハン・ソロの人物像が変わってしまう演出については特に大きな関心を集めたそうです。
ハン・ソロがグリードという宇宙人と話をしている最中に、銃を向けられてはいたもののまだグリードが撃っていないうちにハン・ソロがグリードを撃ち殺してしまうオリジナルのシーンが、グリード側から撃ってきてハン・ソロはそれに対して応戦したように修正されていたのです。
正当防衛であるかのように描いてハン・ソロがそれほど悪い人物ではないようにしたかったのかも知れませんが、ファンに言わせるとハン・ソロはもともと違法な取引を行って生計を立てていた人物だし、危険な香りのする男であることは疑いようがないのにその人物像を変えるような演出は不要だというのです。
また、1メートルと離れていない距離でグリードが標的を外すなどということのほうがよほど不自然だとも言います。
確かにそう言われればその通りですよね。
ルーカスが特別編を作った動機はフィルム作品がこの先数十年良い状態で残るとは思えず、ベストな状態で保存できるようデジタル化したかったからだそうです。
その気持ちはファンも同じで、ファンはオリジナル作品がデジタル化されるのを望んでいるが、今のところ出す予定はないらしいのです。
ファンはVHSよりマシなレーザーディスク作品を今現在手に入る最善のものであると考えていて高値で取引されているそうです。
もちろん違法ですが、ネットで公開されているとも紹介されていました。
ライフハッカーの記事にもなっていて、こちらはオリジナルのVHSやDVD、Blu-Rayなどからシーンを切り貼りして、さらに修正を加えることでオリジナルにより近い作品をデジタル化された形で配布されているとのことです。
紹介したハン・ソロとグリードのシーンも含めて少なくとも10の変更点があるようです。
少し前にスターウォーズの前半3部作の最後エピソード6の最後のシーンを見ましたが、最後に出てくるダース・ベイダーから元に戻ったアナキン・スカイウォーカーがエピソード2、3でアナキン・スカイウォーカーを演じたヘイデン・クリステンセンにそっくりだったので、随分、エピソード6でアナキンを演じた人に似た役者(つまりヘイデン・クリステンセン)をエピソード2,3の主人公役として見つけてきたものだなと思ったのですが、差し替えられていたのですね。
なんだかちょっとやり過ぎだなと思います。
マスクを外したダース・ベイダーとは似ても似つかない人物になってしまっていますからね。
そちらのほうの矛盾は良いのか?と思ってしまいます。
エピソード1から3にはもっと不満
この他にも後半3部作も含めてカットされたシーンも幾つかあるらしいですがこれはオリジナルの方が使われているのでしょうか?
例えば
エピソード1から3はさらに不満
エピソード1-3の後半3部作にはさらに不満が噴出します。
フォースとミディ・クロリアンの関係についてはその通りかなと思いました。
エピソード1までは皆、フォースというのは宇宙に満ちている不可思議なエネルギーの場であり、それを使いこなせるようになるには精神と肉体の修練が必要であると考えていました。
逆に言えば、心と体を修めれば誰でもフォースを身に付けることができるのだと皆、思っていたのです。
ところがエピソード1では、フォースの出所は生物の細胞の中にいるバクテリアであるミディ・クロリアンであって、フォースの強さはその数によって決まるということが明らかになってしまうのです。
フォースの強さは機械で測ることができ、その上、フォースが使えるかどうかはほぼ生まれつき決まってしまっているのです。
ジェダイになれるかどうかも最初から決まっており、ジェダイになるための修行はフォースが使えるかどうかではなくて、フォースをうまく使いこなすためのものだったということになります。
エピソード4から6では、そんな機械がなくてもジェダイの騎士ならフォースの揺らぎを宇宙スケールで離れたところからでも感じることができていました。
フォースは生命が作り出すそうですが、その後は世界全体がそれを育て、空間全体に満ちていくとヨーダは説明しています。
フォースは樹々にも岩にもいたるところにあるのだとも言っています。
それを感じ、それを操る力を持つものがジェダイなのです。
それがエピソード1から3では、自らの体にフォースの源を持ち、その力が強大でなければジェダイになれないということになってしまっていたのです。
さぞかしファンはがっかりしたことでしょう。
気持ちはわかります。
エピソード1から3を見るまでまともにスターウォーズを見たことがなかった私は、スターウォーズ エピソード2 帝国の逆襲で、惑星ダゴバに身を潜めていたヨーダが訪ねてきたルークの食べ物をつまみ食いしたり、荷物を勝手に引っ掻き回してペンライトのようなものを奪って「これは、わしのもんじゃ〜!」と駄々をこねてR2-D2と揉み合いになっている姿にかなりのショックを受けましたが。
ルークが怒りなどの感情をコントロールできるかどうかを試していたのだとも考えられるのですが、エピソード1から3とはあまりにもかけ離れすぎていて、エピソード3でジェダイたちがアナキン・スカイウォーカーとシスの一味に皆殺しにされた後の隠遁生活ですっかりモウロクしてしまったのかと思ってしまいました。
あと、エピソード4から6もツッコミどころはいろいろあると思いますよね。
生体反応を機械で検出するシーンが何度も登場しますが、この機械による検査がザルで、デス・スターに取り込まれたミレニアム・ファルコン号を機械で検査しても、二重底に隠れていたルークたちを発見できず、帝国軍を避けて隠れていた氷の惑星ホスでルークがまわりの生体反応を調べて何もないことを確認した後、怪物に襲われています。
全然、生体反応を調べる機械は当てになりません。
話を戻します。
この他にもジャージャー・ビンクスという登場人物によって作品にコメディや漫画的な要素が加わってしまい、スターウォーズの世界観自体が崩れてしまったと感じた人がいました。
アナキン・スカイウォーカーがダース・ベイダーになってしまうラストシーンなどにも不満が多かったようです。
ただ、後半3部作についてはファンが大人になりすぎ、子供の心をなくしたせいだともいう意見もありました。
それを象徴するのがジャージャーに対する子供たちの評価が良いことです。
大人たちには不評なジャー・ジャー・ビンクスも子どもたちは好意的に受け止めていて、スターウォーズを好きになる要素の1つになっているのです。
確かにジャー・ジャー・ビンクスと彼の種族によって、戦争がコミカルに描かれることになってしまって良くないという気もしますが、これは私も子供の心がなくなっているせいかも知れません。
コミカルなシーンには不満を持っている人は多いようで、例えば、特別編以降のスターウォーズ エピソード1から3の作品で追加されたシーンのうち、タトゥイーンにある宇宙船の船着き場がある街での、馬の代わりのように移動用に使われている生き物から人が振り落されるシーンなどはいらないと考えている人もいるようです。
あと、ジャバザハットとハン・ソロの会話シーンでソロがジャバの尻尾を踏むシーンですね。
だから前述のようなオリジナル版を求める人がいるのですね。
クリスマススペシャルは黒歴史
クリスマスに放送されたホリデースペシャルというチューバッカの里帰りを描いた作品は黒歴史だそうで、ジョージ・ルーカスはそれをないことにしようとしているらしいです。
前半20分あたりまでチューバッカと家族たちのうめき声だけの会話が字幕なしに続くそうです。
実際見てみるとそこまでうめき声ばかりではないのですが、逆にチューバッカの星の住人がかなり文化的な生活をしていてなんだか世界観が台無しです。
イウォークよりも文化的なんですよ。
ほとんどあの当時やあるいは現代の地球人と同じです。
まあ、でもチューバッカはその見た目に反して、ミレニアム・ファルコン号の副操縦士ですし、機体の修理もできるかなり知的な種族でした。
確かにひどいですね。
これはファンでなくても怒るのじゃないかと思います。
ファンたちはこれをないことにしても良いと思っているのに、ルーカスは自分たちの期待には応えてくれないと思い、不満を募らせているのでした。
個人的にはイウォーク・アドベンチャー2も黒歴史になかったことにして欲しいですね。
https://www.youtube.com/watch?v=nDAFCtlqKTAwww.youtube.com
最後迄熱いファンたち
スターウォーズのファンになる人はクリエイティブな人が多かったのか、それとも万人のクリエイティビティを刺激するのがスターウォーズという作品だったのかわかりません。
しかし、何かを作るなどという形で参加するという愛し方は、その題材に対する愛着がとても強くしてしまうのかも知れません。
スターウォーズをベースとしてファンムービーを作ったり、フィギュアを作ったり、漫画を書いたりする人たちは、そのベースが後から勝手に書き換えられることに我慢がならなかったのでしょう。
確かにスターウォーズはジョージ・ルーカスの著作物ですが、世に出てしまった以上、ある程度、公共的な価値があるはずだ、とファンたちは言います。
一度出したものを引っ込めたり、後から修正してほしくはないのです。
ファンがルーカスを理解しようとするべきなのか、それともルーカスがファンのことを考えるべきか、どちらがより努力して歩み寄るべきか?と問いかける人もいました。
彼らの中には積極的ではないにしろジョージ・ルーカスの死を望むものもいます。
これ以上、作品を改変される恐れがなくなるからです。
その後、皆さんご存知の通り、スターウォーズ制作の権利がディズニーに譲渡され、新作が作られました。
彼らはこのこと(新作とディズニーに譲渡されたこと)についてどう思っているのか気になります。
全米ナンバーワンコメディーのビッグバン★セオリーでも、ジョージ・ルーカスのリマスターを批判するセリフがときどき出てきます。