どんな人も傷んでいる
どんな人もいろいろな困難を抱えて生きているんだなと思いました。
ここには書きませんが、お腹の子供を失った方のブログ記事も読みました。
ほのぼのとした日常を漫画した記事を書いている方でもそういった痛みを持っているものなのですね。
それぞれ色々な困難はありますが、やっぱりどこかには社会生活を営むのは難しい困難というのがあるので、「俺も苦しいんだから、甘えるな」という理屈のために冒頭の考えが使われることにはなってほしくないなとは思います。
もう一つは自分の困難の基準あるいは自分が困難であることとないことを他の人にも当てはめようとすることも慎まれるべきだと考えます。
蛇足ですが、依存症が「反省できない病気」という表現は少し誤解があるものです。
実際には「否認の病」と呼ばれています。
- 自分は依存症じゃない
- 自分は依存症だと認めざるを得ないが、同じ病気のあの人よりもマシである(重くない)
- 自分は依存の対象(例えば酒)と、うまく付き合いながら生きていける。一般には完全に止める必要があると言われているが自分だけは大丈夫のはずである。
こういった感じの現状の否認があるそうです。
それも病気の症状や特徴の1つであると言いたかったのでしょうね。
これから科学の進歩によってさまざまなものが障害となっていくということは十分にありうることです。
精神異常者、異常犯罪者は予め特定できるのか? - あれこれ備忘録 〜はてなブログ支店〜
異常犯罪すら脳の障害と言える可能性があることが指摘されています。
脳の成長が早いという事は良い事とは限らない - あれこれ備忘録 〜はてなブログ支店〜
女性は男性よりも早く脳が成長するそうです。
これは脳が早く固定化されるという意味でもあるでしょう。
上の記事では囲碁や将棋など脳を使う競技の能力の男女差にも関係するのでは?という主旨で書きましたが、場合によっては脳が長く固定化されないことが統合失調症や発達障害と関係するかも知れません。
記事では実験が現実を本当に反映しているのかについて私は疑問に思ったのでそのことを書きましたが、とにかく嘘つくかどうかにも脳の領域が関係している可能性が示されたのです。
虚言癖の人も脳の障害と言えるかも知れません。
しかし、同時にこういうことも考えてほしいとも思います。
「脳が心を生むのなら、心から脳への働き掛けはありえないか?」という問い - あれこれ備忘録 〜はてなブログ支店〜
(追記あり)オキシトシン万能説は危険ではないですか? - あれこれ備忘録 〜はてなブログ支店〜
脳を含めた人体を機械のように考えて、不具合が起こっているところへ薬などの対処をすれば良くなると必ずしも言えないのではないか?
心と脳とは必ずしも一致しているとは言えないし、脳から心が生まれるという順番も間違っている可能性があるということです。
また、病気とされる人間の側だけのアプローチで本当に良いのかどうかということも問われるべきではないかと思います。
とにかくみんなそれぞれ違った痛みや困難を抱えているのだということを再認識した年の瀬でした。