あれこれ備忘録@はてなブログ

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凸るのが好きな人は他人の一般論が自分への否定と感じるのか?

 

他者を攻撃することで、有能さを示そうとする人と、助けることで、有能さを示そうとする人。 | Books&Apps

有能でない人の助けはいらない、むしろ迷惑と結局攻撃されることに

2015/12/22 23:28

 感想は冗談みたいなものです。

 

 

何かある度に絡んだりする人いますね。

 

 

あれだとエネルギー消耗するだろうなと他人事ながら思います。

 

相当気持ちが強いのでしょう。

 

努力もしたのでしょう。

 

 

でも、エネルギーの無駄遣いをしているような気がします。

 

 

また、そういう人は結局のところ、同じ基準を相手に求めるので、ブラック企業的な精神論が私には見えます。

 

仮にブラック企業に反対する立場だとしても独善的な所など同じものを感じてしまいます。

 

自分に対して投げかけられた問題提起でも無いのにその発言をした人へ突撃する人は自分の経験や考えと異なる発言をする人を許せないのでしょうか?

 

徹底的にやり合って理想的には相手をやり込めるということをしないと気が済まないのでしょうか?

 

 

ある考えを述べてそれで予期しない所から突撃されたら、考えを述べた人は困惑するでしょう。

 

 

突撃したほうは自分から仕掛けていますが、相手が困惑の上で議論に答えていることを察しているのでしょうか?

 

 

それで相手が屈したとして相手の本当の気持ちは分かるのでしょうか?

 

勝った負けたの問題なのでしょうか?

 

 

だとしたら不意打ちが反則でなければ勝って良かった、満足でしょう。

 

 

それでもエネルギーを消耗した価値はあったのでしょうか?

 

とは言うものの、私にもそういうところがあるのです。

 

 

だから、これは自問自答でもあるのです。