あれこれ備忘録@はてなブログ

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家族や社会との関わりで報酬系が鍛えられないとレジリエンスが低下する

レジリアンス : 場末P科病院の精神科医のblog

 

何故か埋め込みができなかったので通常のリンクです。

 

以前、記事に書いたレジリエンスのことですね。

 

arekorebibouroku.hateblo.jp

 

私は打たれ強さは鈍感力との違いがはっきりしないので、レジリエンスについてもどの程度、訓練で身に付くのか疑問に思っています。

 

鈍感力と同じだとすると生まれつきの要素がかなり支配的だと思いますし、相手の感情を読み取れないなどの負の要素もあるので、かなり否定的な立場を取らざるを得ません。

 

 

冒頭のリンクの記事にこんなことが書かれていました。

 

 

 (注; この報酬系の機能不全は社会的な報酬が与えられないことが契機となる。すなわち、思春期に学業やスポーツを頑張っても親から褒めてもらえないことや、子供の頑張りを認めてもらえないこと、親から我が子だと尊重されていない、といった社会的なフィードバックを得られないことや、家族と出かけたり、遊びに行ったり、ごちそうを食べるなどの家族としての楽しい経験がないことなどが契機となるようだ)。

 

 

 子供の頃に虐待やいじめを受けていると、家族や社会から自分が認められている、という感情が育たず、レジリエンスが低下する可能性がありそうです。

 

この書き方だとそこまで深刻な環境でなくとも、緩いネグレクトや毒親を持っていても報酬系の機能不全の可能性がありそうです。

 

悲しいことですね。

 

 

子供のころの環境で作り上げられるもので、本人の資質が決められ、それが本人の責任とされるわけですから。

 

長男長女というか第一子がうつやいわゆる神経症、ひきこもり、統合失調症になりやすいのもわかる気がします。

 

第一子は期待されていると言われます。

 

良い事のようですが、それは無条件に認められていないことを意味します。

 

 親や家族に良い結果をもたらしてくれるとか、本人の幸せであるとしても社会的に成功することが条件として要求されているのです。

 

 

こういう人は大体が早々に社会からドロップアウトしていきますが、ブログで指摘されている東電の経営責任者の例を考えてみると、為末氏の言う「当事者意識のある人ない人」というのはどういう人を指しているのかな?と思います。

 

 そして、今、社会的に成功していることを根拠にして誰かを当事者意識のない人と批判している人のその評価は正しいですか?と問いたい気がします。

 

厳しい境遇でも強いレジリエンスを獲得する話の挿し絵に進撃の巨人がありますが、暴力的解決もいけない世の中に生きていることも考えなければなりません。

 

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いじめに立ち向かうだけでも相当勇気がいったでしょうが、その仕打ちがこれです。

 

立ち向かえば暴力的児童とみなされ、声を上げても無視。

 

 

大津のいじめ事件でようやく社会がいじめた側を非難する当たり前の態度を示しましたが、それ以前に文部科学大臣に手紙を出した子供がいたときなどは、いじめで自殺を考える人は想像力が足りないなどといった発言が相次ぎました。

 

誰が最初に言ったのか分かりませんが、その後に続いて同じ発言を繰り返した人達のどこに想像力があったのか、私には未だに分かりません。

 

いじめや虐待にあった人はテロメア短くなるなど細胞レベルでの老化が起こっているとも言われます。

 

いじめはもはや傷害・暴行と同じなのです。

 

そういった認識のない、声を上げてもこれをなおざりにするようなことを周囲がしていては、いじめられているは子供は学習性無力感という更なる脆弱性を持ってしまいます。

 

 

 

 

 間違えて記事ページではなくてカテゴリページのリンクを貼り付けていたようです。

 

だから埋め込み型のリンクを設置できなかったんですね。

 

他の記事にあるように瞑想にもレジリエンスを高める効果があるようです。

 

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マインドフルネス瞑想には、灰白質の低下も最小限に抑えられる可能性もあるらしいです。

 

病気になってからだと瞑想するのも難しくなってきますができる限りトライしてみなくてはいけませんね。