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為末大さんの発言に感じる違和感

当事者になるつもりがない人 | 為末大・侍オフィシャルサイト

でも、当事者になろうとしない人にもスポーツを応援してほしいと思っている。文句は言わないでほしいと思っている。のでは?

2015/09/22 13:47

 

私は為末大さんが成績が振るわなかったスポーツを批判する人に苦言を呈して物議を醸してから、彼の考え方がずっと気になっています。

 

news.livedoor.com

 

www.j-cast.com

 

スポーツは広く普及して欲しい、多くの国民にスポーツ選手を応援して欲しい。

 

でも、文句は言わないでくれ、ほとんどの人は何の成果も人生で残していないのだから。

 

彼はそう言っているようにしか思えません。

 

例えばオリンピックに関して言えば、同じく物議を醸した夏野剛さんが言うように年収400万円以下の人が税金を事実上払っていないにしても、国民は何らかの形で関わっていますよね?

 

東京であれば、オリンピックが開催されれば交通規制などが行われますから、それに協力しなければならないわけです。

 

オリンピック会場や周辺施設の建設によって、福島を中心とした東日本大震災の影響を受けた地域では、廃炉作業や除染作業、がれき処理の仕事につく人が減っていると言われていますよね。

 

国立競技場に関して言えば、サッカーくじTOTOの収益の一部が使われることが報道などで伝わっていますが、建て替えがなければ、それらは地方を含めた地域のスポーツ関連施設に使われていたはずで、それらに当てられる資金が減らされることになるという指摘もあります。

 

体育館がスポーツイベントにだけ使われるわけではないように、TOTOから当てられる国立競技場建設費で作られたかも知れない施設は、基本的には多目的に使える施設です。

 

スポーツをしない人も利用できるはずのものです。

 

国民はどこかで何らかの形でスポーツイベント(そのイベントが大きければ大きいほど)に影響を受けるものです。

 

また、サッカーくじを買う人は、サッカーは愛しているかも知れませんが、当事者意識がある人ばかりとは限りませんよね?

 

当選金を第一目的にしていてサッカー愛には乏しい人も含まれているかも知れません。

 

そういう人のお金も当てにしているのです。

 

何らかの形で影響を受ける人には協力して欲しい、スポーツ愛に乏しい人にもサッカーくじを買って欲しい(と思っているかどうかはわかりませんが、そういう人と愛にあふれた人とをお金の上では区別しない)。

 

でも、文句は言わないで欲しい。

 

為末さんはそんな風に考えているのでしょうか?

 

スポーツ庁も作られます。

 

そういう意味でもどんな国民も無関係ではありませんが、スポーツ庁設立にも関わっている為末さんは、当事者意識のない人にも協力してほしいと思っているのかいないのか?

 

それとも為末さんは当事者意識のない人は国民ではないと思っているのでしょうか?

 

当事者意識が無く、人生で何も為していない人はスポーツを応援してもいいが、文句を言うことはしないでくれないか?と言っているように思えます。

 

それともスポーツさえすれば全ての人が当事者意識を持った人間になれると思っているのでしょうか?

 

とすると、スポーツ万能説を唱えた不遜な考えを持っていることになりませんか?

 

あるいはスポーツを通じた思想教育をしようとしていることにはなりませんか?

 

当事者意識のない人は、選手を批判したりせず、自らがスポーツにいそしんで当事者意識を持てる人間になってくれ、と言いたいのでしょうか?

 

なんだか、スポーツも国威発揚とプロパガンダの1つに使ったと言われるナチスの思想みたいな胡散臭さを感じてしまうのです。

 

 

私も、スポーツで良い成績を残せなかった人を口汚く罵る人を好ましいとは思いません。

 

例えば、柔道は金メダルを取って当たり前、さほど注目も応援もされていないのに、金を逃すと失望やバッシングを受けると言われます。

 

酷い話だと思います。

 

しかし、私のように否定もしないが積極的に応援もしないような人間を、スポーツ関係者は望んでいるのでしょうか?

 

愛されたり肯定されることの反対は、否定・批判されることではなくて無視されることだと言われますよね。

 

スポーツについてもそういった考えが成り立つなら、批判もある程度受け入れるべきではないでしょうか?

 

そもそも、大舞台での成績だけで肯定されたり否定されたりしているということは、結果さえ出せば、普段の生活態度や思想についてはうるさく言われないということですからね。

 

普段から応援してくれ、ということは常にスポーツ選手らしい言動を期待され、監視されることです。

 

スポーツを通じて人が心身共に健康になるという考えがスポーツ庁設立やスポーツ推進にもあると思いますが、それを強調すればするほどスポーツ選手は自らを窮屈な場所に追い込むことになりませんか?

 

 

良い結果が出なかったことで選手自身が責任感じたり落ち込んだりしているのに、外部の人間が色々言うな、という当たり前のことを言っているのに(特に為末さんは口汚く罵った人をたしなめただけです)、何故か感じる違和感にはこういうことがあるような気がするのです。

 

 

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