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ティク・ナット・ハンとマインドフルネス

NHK Eテレ『こころの時代』を見た。 以前は見ていたのだが、この数年ほとんど見なくなっていた。

シリーズ禅僧というの特集が始まっているそうだ。

以前は1年を通して仏教キリスト教などの経典、福音書の1つを読み解いていくものだったと思うが、少し前にその1つのシリーズが半年という期間に縮まり、今度はこういったシリーズになったのだと思う。

ティク・ナット・ハンという僧侶を今まで知らなかった。

前半を見逃してしまって後半しか見ていない。

ベトナムの僧なのだそうなのだが、ベトナム戦争反戦運動キング牧師の黒人差別反対運動の頃からアメリカで活動しているらしい。

最近では、マインドフルネスをキーワードに、Googleなどの大企業が彼を読んで講演会のようなものを催しているらしい。

マインドフルネスという考えは誰が広めたのだろうか? 「今、ここ」ということを意識することと訳されている。

つまり、 今、ここに生きている。

今、ここで息を吸っている(あるいは吐いている)。

今、右足(あるいは左足)を前に出している(歩いている時) などなどに常に意識を向けて、注意しつづけ、それで心をいっぱいにしてみるということなのだろうと思う。

人間は1度に一つのことしか集中して、ものを考えられないため、そういった一つ一つの普段は意識せずにできる動作に注意を向けることで、苦しみや悲しみといった悪感情を感じられないようにするということだと理解している。

ティク・ナット・ハンは「気づきの鐘」という言葉も使っているらしい。

マインドフルネス・ベルの訳なようだが、「気づき」というと以前はアウェアネスAwarenessという言葉を使っていたように思う。

そのほうが気がつくことの直訳だし、これも以前は心の問題への対処法として挙げられていたと思う。

ただ、アウェアネスというのはどちらかというと、これまで当たり前と思われていたことがそうではないのだ、ということに気がつくといったような、どちらかというと或る種の発見に近い意味合いがあったかも知れない。

ティク・ナット・ハンによると、悪感情にすら意味があるとのことで、孤独であればその孤独を抱きしめ、味わうことも時には必要らしい。

しかし、それだけになってしまうと、それで心がいっぱいになってしまう。 そもそも、苦しんでいる人はそういった状態になっているのだから。

火がつく条件が整うと、最後の一押しとなるきっかけで火がつく。

燃えやすい材料を自ら集めてきてしまってはいけない。

火そのものがどこかから来るのではなく、火がつく条件を自ら整えてしまっているのだ、と彼は言う。

呼吸に意識を向け、歩みに注意し、食事中は一口一口に集中する。

さらに、食事の時には食べながら、食事をともに出来ない人、その日の食事にもありつけない人、既にこの世になく食べられない人のことなどを思いながら、彼らのために食べるということを意識し、実感するらしい。

そうすることで、自己と他、生と死の区別の無い真実の世界、悟りを垣間見ることができるということだろう。

ティク・ナット・ハンは、日本で「母の日」に、母が生きている場合は赤いカーネーション、死んでいる場合は白いカーネーションを送るという習慣を知り、アメリカやフランスなどで母に思いを馳せるイベントを定期的に行うようになったらしい。

当然のことながら、母の日は欧米の習慣だ。

赤い花、白い花を送るのが日本的なのだろうか?

とにかく、彼自身、日本でその習慣を知り、同じように母の墓に白い花を捧げて祈った所、母が自らの体や心の中に生きているということが実感できたのだという。

自分の体の中に、他人、親、生きている人、死んでいる人が区別なく生きていることが実感できるということも、高度なマインドフルネスなのだろう。

実践するのは大変そうだ。 でも、少しずつ始めてみるのもいいかも知れない。

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